獅子文六『てんやわんや』

てんやわんや (ちくま文庫)

遠い異国を舞台にした翻訳小説を読むことが多いけど、戦後すぐの日本の地方を舞台にした話ももはや遠さでは負けてないのではないかと思い読むことにした。

1948年から1949年にかけて連載された新聞小説。

主人公犬丸順吉は戦後の東京近辺の殺伐とした世相に恐怖を覚えて、子飼いとして支えていた鬼塚の伝で、愛媛県相生町(架空の町だが現在の宇和島市津島町を舞台にしているらしい)に疎開する。豊富な食料と、温かい歓待、珍しい風俗に、最初のうち桃源郷に来たような心地がするが、一年が経つうちに、幻滅していく。最後のよすがの恋に破れだところに、追い打ちで大地震(1946年の昭和南海地震)が発生する。失意とともに、彼は、来た時同様何も持たず、東京に帰ることにする。

犬丸順吉は、いったんは再び鬼塚を頼ろうとして、極秘に預かっていた書類を、震災の瓦礫の中から苦労して掘り出し、中身を知る。このシーンが、この小説の白眉のひとつであるような気がする。

もっとユーモラスで奇想天外な話かと思っていた。出てくる習俗や出来事はほぼ実在のものだし、何より主人公の感じる失意が、リアルだった。それでいて暗さはなく、徹頭徹尾前向きな明るさに溢れているのは、時代が孕んでいた可能性ゆえなのかもしらない。現代にも通じる話だが、現代にはこの明るさはない。

★★