吉川浩満『哲学の門前』

同じ著者の『理不尽な進化』も、あえて進化に関する誤解に焦点をあてていて相当ニッチだったが、これまたニッチな本だ。哲学の入門書ならぬ「門前書」ということで、著者の体験談のパート(である調)とそれに関する「哲学的」(?)な考察のパート(ですます調)が交互にくるスタイルをとっている。 特...

竹内繁樹『量子コンピュータ 超並列計算のからくり』

いまさら量子コンピュータのことをまったく知らないと思ったので、最低限の知識をインプットしておくことにした。2005年に書かれた本なので古びてないかなと思ったが、基本的なしくみの話がメインなので、その部分は変化はないのだった。フェーズとしても実用化に向けての研究が少しずつ進んでいる...

P・D・ジェイムズ(小泉喜美子訳)『女には向かない職業』

22歳の女性であるコーデリア・グレイはこの物語の開始時点で小さな探偵事務所の共同経営者だが、冒頭で所長のバーニイが病気を苦に自殺してしまい、彼女がひとりで事務所をきりもりしていくことになる。コーデリアの半生や探偵になるまでの経緯は、回想的に合間合間で語られる。 本書の主題は、コーデ...

斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』

特殊設定ミステリーという言葉をはじめてみた。最近現実に世界にありえない特殊な設定のミステリーが増えてきて。ジャンルを形成しつつあるらしい。 この作品では、天使と呼ばれる、翼があり目鼻口のないのっぺりした顔という異形の生き物が多数降臨し、二人以上殺した人間を地獄に引きずり込んでしまう...

村上春樹『女のいない男たち』

初読以来8年たって再読したのは、映画『ドライブ・マイ・カー』をようやくみたからだ。完膚なきまでに忘れていて潔いくらいだった。 初読時には各作品の内容にはほとんど触れなかったので、今回は映画とからめつつ各編の内容に触れていこう。 映画のタイトルになった『ドライブ・マイ・カー』からは主要...

呉明益(天野健太郎訳)『歩道橋の魔術師』

著者名はカタカナではウー・ミンイーと書くらしい。 1971年生まれの台湾の小説家だ。内容紹介の中にあった「マジックリアリズム」という言葉に反応して読もうと思った。 台北にかつてあった中華商場という巨大なショッピングモールを舞台にした連作短編。ショッピングモールといっても職住一体となっ...

ポール・ベンジャミン(田口俊樹訳)『スクイズ・プレイ』

ポール・オースターが他の長編小説発表前に別名で書いたハードボイルド探偵小説。 検察をやめて探偵業を営むマックス・クラインに、元メージャーリーガーで政界進出が噂される、ジョージ・チャップマンが依頼をもちかけてくる。心当たりのない脅迫状が届いたというのだ。クラインは、5年前チャップマン...

マイクル・Z・リューイン(石田喜彦訳)『沈黙のセールスマン』

再読のはずだが例によってまったく覚えてない。主人公の私立探偵アルバート・サムソンはもう少しおとなしい常識人かと思っていたがかなり唐突に過激な行動をするし、単なる医療事故の隠蔽か何かの地味な案件かと思っていたら二転三転して複数のとんでもない陰謀が明らかになる。 そして語り口もソフトだ...

松浦寿輝『半島』

再読。ご多分に漏れず記憶はあやふやで、迷宮的な半島の中を動き回る冒険小説みたいに認識していたが、かなり違った。もっとダークで思索的な物語だった。 なんとなく舞台は江ノ島みたいな首都圏から近いところを想像していたが、とあるように僻た。 天涯孤独の四十男の主人公迫村は大学教員を辞め、かつ...

小川哲『嘘と正典』

長いことぼくにとって小川哲さんは小説家ではなく村上Radioプレスペシャルのラジオパーソナリティーだったのだが、はじめて作品を読んでみた。 小説家を分類するには何に忠実かということをみればいいと思っていて、倫理感や思想性、文体を含めた詩情、SFというジャンルならジャンル特有の世界観...

松浦寿輝『幽 花腐し』

松浦寿輝作品では『半島』が好きで今回あらたに購入して読み返すことにしたのだけど、そのついでに他の作品も読んでみようと選んだのがこの短編集だ。 6編からなる。ジャンルでいうと幻想文学。何らかの理由で世の中との流れから取り残されて孤立した男が主人公なのが共通だ。『無縁』では歌舞伎町との...

伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』

日本の新人SF作家の短編を14篇集めたアンソロジー。選択の基準は「2022年5月現在で、まだSFの単著を刊行していない」こと。 伴名練さんの作品がすばらしかったので、ほかの現代日本SFも読んでみたくて選んだのだが、予想以上のレベルだった。SFのアイディアもさることながら、それを物語...

吉田量彦『スピノザ 人間の自由の哲学』

今までいくつかスピノザ本を読んできたけど、本書はけっこう異色だ。 ひとつめ。スピノザの思想だけでなく家族、生涯、死後の受容に焦点をあてている。いまだにけっこうわからないことが多いのだが、父の事業を受け継いで営んでいたときの訴訟記録や、スピノザの兄弟のその後の行く末(カリブ海の島に渡...

アンディ・ウィアー(小野田和子訳)『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

目が覚めるとたくさんの管や電極につながれてベッドの上に横たわっている。身体がなぜここにるのか、自分の名前も思い出せない。部屋にはほかに二つベッドがあり人が横たわっているが、どちらも死んでいて、死んでからかなりの年月がたっているようにみえる・・・・・・。このシチュエーションで先が読...

サラ・ピンスカー(市田泉訳)『いずれすべては海の中に』

アメリカのSF作家サラ・ピンスカーの2019年に刊行された現時点で唯一の短編集の邦訳。電子書籍版で読んだが表紙に惹かれて選んだジャケ買いだった。 収録されているのは13篇。ショートショートみたいに短いものから中編に近い長さのものまでいろいろだ。印象的な作品をピックアップする。 冒頭の...

柞刈湯葉『横浜駅SF 全国版』

すっかり忘れていたので『横浜駅SF』を読み直すところからはじめて、あわせて一気に読み通した。 『横浜駅SF』のサイドストーリー。短いプロローグを別にすると、基本的に本編にでてきたサブキャラがメインで活躍する4篇の短編からなる短編集だ。 『瀬戸内・京都編 A Harsh Mistress』はJR北日...

柞刈湯葉『人間たちの話』

『横浜駅SF』の作者の初短編集。収録作は6編だ。 『冬の時代』は次の氷河期が到来して数世代後の日本を旅する若者と少年のスケッチ。長編小説のなかのひとつのエピソードを抜き出したような作品。 『たのしい超監視社会』はオーウェル『1984年』のパロディー。三大全体主義国家の一角ユーラシアが...

伴名練『なめらかな世界と、その敵』

表紙からラノベに毛が生えたようなものを想像していたが、思ってもいなかった本格的なSF作品を集めた短編集だった。SF的なアイデアだけじゃなく、登場人物の感情の動きの自然さと深みがすばらしい。それが物語をダイナミックに駆動する原動力になっている。 表題作の『なめらかな世界と、その敵』は...

ザミャーチン(松下隆志訳)『われら』

完成は1921年なので、ディストピア小説の嚆矢といってよさそうだ。ロシア革命からまだ4年でソビエトの共産主義体制は流動的だし、ナチスは影も形もなかった。そんな時期に現代的というか未来的な全体主義の姿を克明に思い描いたのは先見の明としかいいようがない。 〈単一国〉と呼ばれる壁で外界か...

川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』

20世紀中庸のアメリカ出身のゲイ作家ジュリアン・バトラー。といってもジュリアン・バトラーは実在しない。その実在しない作家の回想録を書いたのは彼の生涯のパートナーであったジョージ・ジョン。もちろん彼も彼の書いた回想録も実在しない。その実在しない回想録の日本語への翻訳が本書であり、飜...