矢作俊彦『ロング・グッドバイ』

「長いお別れ」じゃなくて"THE WRONG GOODBYE"つまり「間違ったお別れ」だ。といってもバチモノではなく、チャンドラーとフィリップ・マーロウの系譜を受け継ぐ正統的なハードボイルドだ。 主人公の二村永爾は神奈川県警の刑事だ。彼はある夜、ビリーと名乗る、日系アメリカ...

村上春樹『風の歌を聴け』

記念すべき村上春樹のデビュー作。再読のはずだけど、たぶんそれは前世の出来事だったようだ。 途中からひょっとしたらと思ったが、語り手の「僕」が文章についての多くを学んだというデレク・ハートフィールドはやはり架空の小説家だった。つまり、デレク・ハートフィールドは村上春樹にとってのキルゴ...

銀林みのる『鉄塔 武蔵野線』

鉄塔の写真を何度か撮っているし、世の中平均より鉄塔好きのぼくではあるが、鉄塔が小説になるとは思いも寄らなかった。いや、もちろん人々とのふれあいとか恋愛とかサスペンスとかを盛り込めばどうにでもなるだろうが、小学生が高圧線沿いに鉄塔を訪ねて進んでゆくというだけで十分物語として成立して...

藤田宣永『転々』

映画を観た後に原作というパターンだが、この作品に関しては映画と小説は別物という感じだったし、幻滅しそうな気がしてためらっていたのだが、映画の持っているいい意味での宙ぶらり感が、原作との間にどんな力学が働いて生まれたものなのか気になって、結局読むことにしたのだ。 予想はあたっていて、...

ポール・セロー(村上春樹訳)『ワールズ・エンド(世界の果て)』

つきはなしたような冷たいユーモアが特長の短編集。故郷から遠く離れた異郷にいる人たちが主人公になっている。人間の実存を感じさせるような重い作品はないけれど、冒頭の表題作『ワールズ・エンド(世界の果て)』と最後の『緑したたる島』は、いつの間にか人生の袋小路に入り込んだ人々の絶望をとて...

古川日出男『gift』

10ページほどの掌編が20個つまっている。リズミカルな文章で語られるのは、物語の骨格から自由で、変形自在のインプロヴィゼーションだ。雨の話とか暗いトーンの話もあるのだが、全編を通すと、なぜだか穏やかな日向の風景が思い浮かぶ。長大な『アラビアの夜の種族』と比べると古川日出男という小...

安部公房『壁』

高校生の時以来の再読。当然のようにすっかり内容を忘れていた。 あの当時はまだカフカも読んだことなくて、はじめた触れたいわゆる不条理文学だったので、この作品というよりこのジャンルへの驚きが大きく、この作品の特長をとらえきれなかったと思う。今回読んでみて、メタフォリカルなエピソードと、...

アルフレッド・ベスター(中村融訳)『願い星、叶い星』

日本で独自に編まれた短編集。どれも粒ぞろいの作品で訳もいい。 『ゴーレム100』の作者がどんな短編を書いているのかと思って読んだが、最後の『地獄は永遠に』をのぞいてはアンドロイド、タイムトラベル、地球の終末などをテーマにしたオーソドックスなSFだった。特に『イブのいないアダム』のラ...

『文化系トークラジオLife』

TBSラジオで放送されている(少なくとも個人的には)大人気番組「文化系トークラジオLife」を書籍化した本。基本的には放送された内容の文字起こしで、ぼくみたいに何度も何度もヘビーローテーションでpodcastingを聞き返した人間には既視感を感じる内容だったが、あらためて活字とい...

ジャック・ケルアック(福田実訳)『路上』

四度にわたりアメリカ全土(+メキシコ)を横断した破天荒な体験を、詩的で象徴的な文章で、小説としてまとめあげた記念碑的な作品だ。この作品を通してアメリカという国がもう一度発見されたのだ。 最初の旅は、路上をかけぬける爽快感と解放感に身をまかせていられたが、二度目以降は旅の疲れにおそわ...

多木浩二『肖像写真―時代のまなざし』

19世紀後半に活躍したナダール、20世紀前半のアウグスト・ザンダー、そして20世紀後半のリチャード・アヴェドンという3人の肖像写真家の作品を対比させながら、肖像になる人々の顔およびそれを撮る側の視線の変化をたどってゆく。 ナダールはパリにスタジオを構えて、主に高名なブルジョワジーの...

ジョセフ・ギース/フランシス・ギース(青島淑子訳)『中世ヨーロッパの都市の生活』

いわゆる暗黒時代からぬけだして中世文化が花開いた西暦1250年という年の、フランスシャンパーニュ地方のトロワという町における、人々の生活をさまざまな角度から描き出している。 トロワはいまでは人口6万人、パリから電車で一時間半のところにある郊外の小都市だけど、1250年には1万人とい...

荻上チキ『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』

Net News全盛の昔から、「炎上」というものには目がなかった。あっちのニュースグループが燃え上がっていれば行ってにやにや笑い、こっちでぼやがあがっていればおもしろいからもっとやれと心の中であおっていた。その当時は、「炎上」といっても穏やかなもので、燃え立たせているのは多くても数人で...

アルフレッド・ベスター(渡辺佐智江訳)『ゴーレム100』

アルフレッド・ベスターの名前すら知らなかったSFファンとしてはだめだめなぼくがいうのもなんだが、SFというジャンルの本質はまだみたことのないものをみせてくれるところにあると思う。ところが本書は、そう思っていたぼくですら度肝(って何だ?)を抜かれるほど斬新だった。 さまざまな引用、言...

ヘンリー・ジェームス(蕗沢忠枝訳)『ねじの回転』

ゴーストストーリー、怪談といえばその通りなんだけど、かなり毛色がちがう。 幼い兄妹と召使いが暮らす古い館に家庭教師として住み込むことになった女性から見た一人称で物語は語られる。亡霊たちは主人公にしか見えない(子供たちにも見えるようなのだけど、最後までよくわからない)。それで、途中か...

円城塔『Self-Reference ENGINE』

その瞬間、宇宙は無数の宇宙に分裂し、時間や因果律が錯綜して頭の中の弾丸が銃の中に戻ろうとしたり、家の中に別の家が生えてきたりするようになった。その出来事は「イベント」と呼ばれている。それぞれの宇宙の出来事は巨大知性体という何台ものコンピュータの演算によって起きるようになっている。...

亀山郁夫『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』

『カラマーゾフの兄弟』を読んで一番驚いたのは、この分厚い大作が未完で作者のドストエフスキー急死により「第二の小説」が書かれずに終わったということだ。確かに回収されていない伏線があったり、本編と関係ないのにやたらページをとって語られている登場人物がいたりするし、何より作者による序文...

ドストエフスキー(安岡治子訳)『地下室の手記』

なにごとにもきっかけが必要で、『カラマーゾフの兄弟』は光文社古典新訳文庫版が出始めたのをきっかけに読もうと思ったのだが、なかなか完結しなくて待ちきれず、結局新潮文庫版を読んだのだった。京の仇を江戸で討つではないが、『地下室の手記』は光文社古典新訳文庫版を選んだ。はるか昔に読んだよ...

米澤穂信『さよなら妖精』

タイトルから漠然と、超自然的なフェアリーストーリーとミステリーが融合するシュールな作品を想像していたが、ウェルメイドな青春群像ミステリーだった。 地方都市に住む高校三年生四人はユーゴスラビアからやってきた同年代の少女マーヤと知り合う。何にでも好奇心いっぱいのマーヤにひきこまれて、彼...

ポール・オースター(柴田元幸訳)『ガラスの街』

「あてもなくさまようことによって、すべての場所は等価になり、自分がどこにいるかはもはや問題でなくなった。散歩がうまく行ったときには、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった――どこにもいないこと。ニューヨークは彼が自分の周...