ナイロン100℃『ゴドーは待たれながら』(プレビュー公演)

godo

おなじひとり芝居でも観客に物語を語りかけるスタイルの戯曲ならここまで苛酷じゃないだろう。ほとんどのセリフがひとりごと。しかも堂々めぐりを繰り返す。演じる俳優はほんとうに大変だ。そしてみている観客、とくに金曜日の仕事帰りの疲れ切った観客(ぼくのことだ)にとっても苛酷な体験だった。前半途中から、このまま眠りに引きずり込まれてしまったら二度と目がさめないんじゃないかと思うような恐ろしく理不尽な眠気にさいなまれた。

と書くと難解だったり退屈だったりしたんじゃないかと思われるかもしれないが、いや、夢現でもわかるようなすばらしい作品だった。

いわば、有名な『ゴドーは待ちながら』のサイドストーリー、待たれているゴドーに焦点をあてた作品だ。ふつうに考えると待たれている方は待つ方に比べれば気楽で、だからみる前は徹頭徹尾パロディーだと思っていた。しかし、確かに笑いはそこかしこにちりばめられているが、待たれている(と思っている)側の苦しみの方がより本質的で痛切なんじゃないかというのが、この作品のテーマだ。

ゴドー(といっていいのか彼自身は自分の名前を覚えていない)は昼とも夜ともわからない灰色の霧に包まれた家の中にひとりでいる。待ち合わせの約束を果たす気は満々だが、肝心の待ち合わせの場所、時間、相手が思い出せない。そもそも今がいつなのかもわからない。そんな約束なんてなかったことにできれば解放されて自由になれると夢想するが、逆に自分が誰にも待たれていないという状況には堪えられない。行こう、と何度も口に出してみるが、どうしてもドアをあけて外に出る勇気がもてない。待っている方には少なくとも希望がある。待たれている方にあるのは絶望も出来ないような絶望。

そんな停止した永遠のような世界に少しずつ変化の兆しが紛れ込む。それは希望なのかそれともさらなる絶望なのか……。

ゴドーの、行かなくてはならないんだけどどこに行けばいいかわからないという苦しみが、とても痛切で身近なものに感じられた。

本公演はすぐに完売で、前日に追加されたプレビュー公演のチケットをどうにか手に入れたのだが、もっと体調が万全なときにみたかった。その方が大倉孝二のきれやセリフの入りもよかっただろう。それでも十分みた甲斐はあったが。

作:いとうせいこう、演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/東京芸術劇場シアターイースト/指定席4500円/2013-04-05 19:30/★★★

出演:大倉孝二、(声)野田秀樹