読書ノート

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』

村上春樹が初めて自分の父について書いたエッセイ。中くらいの短編の長さだが、刊行にあたって他の作品と組み合わせるのが難しいということで台湾出身の高妍さんの挿絵をつけて単独で出版されている。 村上春樹さんの父村上千秋は1917年に生まれ、2008年に亡くなっている。寺の住職の子として生...

アーサー・C・クラーク(酒井昭伸訳)『都市と星』

一応SFファンのつもりなのにアーサー・C・クラークを読むのは数十年前の『幼年期の終わり』以来超久しぶり。考えてみるとこういう古典的なSFは今まであまり読んでこなかった。 十億年後のはるか未来。人類は一時銀河系に帝国を築くが、『侵略者』との戦いに敗れて、今では人々は地球の半径20-3...

スティーブン・ピンカー(橘明美、坂田雪子訳)『21世紀の啓蒙』

コロナで先の見通しがたたないなか前向きな本が読みたくなった。 「わたしたちは理性と共感によって人類の繁栄を促すことができる」。あたりまえで、ありふれた言葉に思えてしまうが、これこそが啓蒙主義の原則だ。理性は、もうひとつの人間の本性である、「部族への忠誠、権力への服従、呪術的思考、不...

藤井太洋『ワン・モア・ヌーク』

2020年3月東京。コロナが発生せずかわりに原爆テロが発生した世界線の物語。 オリンピックを間近に控え、東日本大震災そして原発事故から9年目の、2020年3月。テロリストにより東京都心で核爆弾を爆発させるという予告がされる。プロローグとエピローグをのぞいた本篇は爆破時刻に指定された...

木田元『反哲学入門』

『反哲学入門』と題されているが、語りおろしということもあり、とても易しく哲学史の見取り図が学べる本。いろいろ哲学書を読み散らかしてきたがまずこの本を読んでおけばよかった。 なぜ「反哲学」かというと、著者(および著者が依拠するハイデガー)によれば、西洋哲学はプラトン以降自然を越えた「...

山尾悠子『ラピスラズリ』

「冬眠者」という冬の間死んだように眠る人々を題材にした連作短編集。 冒頭の『銅版』は、深夜の駅の画廊で、見つけた3枚の銅版画。そこに描かれているのは「冬眠者」たちの謎めいた歴史と生活。プロローグ的な作品で、この銅版のシーンが以降の作品の中で再現されるか示唆される。 『閑話』は一番好き...

スタニスワフ・レム(沼野充義他訳)『完全な真空』

架空の本の書評集。ひとつだけ例外的に実在する本の書評が含まれていて、それはほかでもないこの『完全な真空』の書評だ。その自虐的な手厳しさは別として、この中で本書の内容が的確に紹介されている。ひとつ謎なのが、『テンポの問題』の書評についての言及で、それは本書には収録されてない。本書の...

山尾悠子『歪み真珠』

15編からなる掌編集。『夢の遠近法』を読んだのも実はこの文庫の発売がきっかけで、なんかびびっと直感に訴えかけるものがあり、まず初期作品から読もうと思ったのだった。で、ようやくそもそものきっかけの本書に手を伸ばした。 以下は収録作のリスト。 ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠 美神の通過 娼...

テッド・チャン(大森望訳)『息吹』

なんと17年ぶり2冊目の作品集。収録作は9編。最初の作品集『あなたの人生の物語』に収録の8変と作品集未収録のOPED一編が現時点で発表されている全作品とのこと。 『承認と錬金術師の紋』。アラビアンナイトの語り口のタイムトラベルもの。タイムトラベルものは大きく歴史の改編が可能なものと...

村田沙耶香『変半身(かわりみ)』

松井周×村田沙耶香のコラボ企画。松井周による舞台をみたので、当然のこととして村田沙耶香による小説版も読んでみた。 演劇版と共通するのは千久世島という離島が舞台であることと、「もどり」という秘祭の存在くらい。芝居ではけっこう重要な役割を果たした、ボーボー様とボビ原人というこの島に伝...

テッド・チャン(浅倉久志他訳)『あなたの人生の物語』

ようやく新作の飜訳が出るというので、復習という意味でなんと15年ぶりの再読。思った以上に忘れていた。 せっかくなので一編ずつコメントをつけておこう。 『バビロンの塔』。本書の半分くらいがそうだが、この世界とは異なる物理法則・トポロジーの世界の物語。これは円盤状の地上と天動説。巨大都市...

スチュアート・タートン(三角和代訳)『イブリン嬢は七回殺される』

年も押し迫ってきたところで、すごい作品に出会えた。間違いなく今年読んだミステリーの中でナンバーワン(他にミステリー読んでないけど)。 探偵が犯人を見つける単純なミステリーではなく、探偵役の主人公が失敗しながら同じ日を何度も繰り返すというギミックがついている。しかもそれぞれ別の人物の...

ギョルゲ・ササルマン(住谷春也訳)『方形の円 偽説・都市生成論』

36の架空の都市を題材にした短編集。といえばイタロ・カルヴィーノ『見えない都市』が思い浮かぶ。これはルーマニア出身の作家によるもの。読み終わるまで新鋭作家が『見えない都市』を下敷きにして発展系として書いたものだとばかり思い込んでいた。それにしてはオーソドックスで、『見えない都市』...

スチュアート・ダイベック(柴田元幸訳)『シカゴ育ち』

16年前に初めて読んだときにはほとんどよさがわからなかったが、先日たまたま部屋の隅で埃をかぶっていたこの本を発掘したときにひっかかるものを感じた。前回読んだときはは物語が発するリズムとぼくが求めているリズムが一致しなかったのかもしれない。それで試しに最初の作品『ファーウェル』を読...

小山田浩子『工場』

3編収録の中短編集。 表題作の『工場』は巨大な工場で働く立場の異なる3人の目から「工場」という不条理空間を描いた作品。不条理と書いたがこの工場はごく普通の日本の大企業であり、そういう場所を経験したことのある者からみたらごく日常的なことしか起きない。むしろ今の標準的な労働環境からみれ...

劉慈欣(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)『三体』

文革の混乱でなにもかも失った女性科学者の物語から始まり、現代の科学者たちの謎の死へと一転する。そして、写真に写り込むカウントダウンの数字と『三体』という謎のVRゲーム。序盤からもう圧巻だが、中盤以降の謎解きパートになっても、アイデアの噴出量が落ちない。圧巻のSFエンターテインメン...

カルロ・ロヴェッリ(冨永星訳)『時間は存在しない』

イタリア出身の理論物理学者による時間についての本。 大きく三部構成。 第一部は、現代物理学の知見が動員され、時間の性質としてぼくらが日常的に思っているようなものは存在しないということが示される。まず、時間はどこでも変わりなく流れるものではない。流れ方は場所や速度によって異なるので、現...

『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(岸本佐知子訳)

この本を紹介する方法で、すぐに思いつくのは、作者はこういう人で、こういう人生を送って、それと作品にはこんな関係があるんですという、ライ麦畑のホーラン言うところの《デーヴィッド・カパーフィールド》式のやり方だ。この作者の場合、このやり方で書くべきことはとても多いし、たぶんそれだけ読...

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』

『サピエンス全史』は現生人類の過去についての本だったが、こちらは未来がテーマだ。最初のうち、同じ材料の残り物を使っているように感じたが、できあがった料理はまったく別物だった。 現生人類ホモ・サピエンスがほかの人類や動物たちに打ち勝って覇権を確立したのは、多数で協力することができたか...

アンナ・カヴァン(山田和子訳)『アサイラム・ピース』

長編『氷』に続いて二冊目のアンナ・カヴァン。こちらはキャリアの初期に書かれた短編集だ。 短編集というとおもちゃ箱みたいに多様な作品が含まれていることを期待してしまうが、これは一色といっていいだろう。それも極度に陰鬱な色合いだ。表題作の『アサイラム・ピース』は、精神を病んだ患者のため...