岩井克人『貨幣論』

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

もしお金というものが存在してなかったらとても不便だっただろう。すべて物々交換なので、互いに自分が売りたいものを必要としている人を捜し回らなくちゃいけない。自分の労働力を売る場合も現物支給になってしまうわけだ。

これらの問題はお金つまり貨幣の登場で一気に解決するわけだけど、貨幣って考えてみると不思議だ。金属の小片や紙切れや電子データなんていうどう考えてもそれだけの価値がないものなのに、なぜ通用してしまうんだろう。それには大きく二つの説がある。ひとつは貨幣もまた商品であるという説。これは貨幣が金と交換できた時代ならまだ説得力があったが、今や貨幣そのものに価値がないことは明白だ。もうひとつは、国家などの共同体が決めたからという説。確かにそうかもしれないけど、制度になる前から習慣的に貨幣が流通していたのは間違いないところだろう。

結局、貨幣が流通するのは、それが今後も流通し続けるだろうという予測というか希望があるからだというのが本書の結論だ。売り手が貨幣を受け取るのは、それをいつか別のものを買うときに使えると思っているからだし、なぜいつか使えると思うかというと、それを受け取る相手もまた同様に考えると思っているからだ。というように貨幣を使える根拠は再帰的に(時間的には未来の)貨幣そのものに循環する構造になっている。だから、世界が終わる日(あるいは貨幣が使えなくなる日)がわかってしまうと、貨幣は使えなくなってしまう。

マルクスは資本主義の危機を「恐慌」と考えていたようだけど、恐慌の場合は賃金が下げ止まるための緩衝材になるためいつか終わることになる。本書ではほんとうの危機は恐慌とは逆の「ハイパー・インフレーション」ではないかという。まるで世界の終わりみたいに貨幣は価値をなくし、誰も貨幣をもとうとは思わなくなる。それは決して架空の出来事ではなく理論上ありえるよと本書は警告する。

紙幅の関係であまり論じられていないけど、おもしろそうな話題が二つ。ひとつは貨幣と言語の類似性。言語の意味も貨幣の価値と同じように宙づりになっているという話につながるんだと思う。もうひとつは剰余価値の話で、マルクスは労働者から資本家が搾取して剰余価値がうまれると思いこんでいたけど、実は貨幣の誕生によって無が有の価値をもったところに剰余価値があるんではないだろうかという話。

経済学は素人のぼくだが、結論を急がず筋道立てて書かれていたので、すんなり内容が理解できた。

★★★★