ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』

論理哲学論考

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」

語りえるものと語りえないものの境界、つまりこの世界の限界を見極めることがこの本の目的だ。読み終えてみると、この本の内容のほとんどは「語りえぬ」ことであることに気がつく。「私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであることに気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子をのぼりきったものは梯子を投げ棄てねばならない。)私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。」

29歳の時にこの本を書きあげたウィトゲンシュタインは、もうこの分野で自分のすべきことは成し遂げたと感じ、小学校の先生をしていたりしたのだけど、その後、誤りに気がついて探求を再開し、言語ゲームや確実性など本書の枠組みを越える新たな概念を生み出したとされている。だが、生前に刊行されたのは本書だけだった。

哲学の入門書だけでなく原本にもあたらなければと思い読み始めたが、やはりそれだけのことはあった。個人的に、ウィトゲンシュタインが語れないといった形而上学の部分をスピノザにつなげるとおもしろいと思った。ひとまず考えてみたいのは、ウィトゲンシュタインが自由意志をどのように考えていたかということだ。「未来の行為を今知ることはできない。そこに意志の自由がある」といったりもするが、「主体は世界に属さない。それは世界の限界である」や「世界は私の意志から独立である」という言葉からすると、人間が行なう行為は意志によるのではなく外部の要因により決定されていると考えているようにも読める。謎だ。

★★★★