多和田葉子『ゴットハルト鉄道』

ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)

女性の書く純文学作品にはある共通な皮膚感覚のようなものを感じる。男性が論理性に頼って言葉をつなげていくのはちがって、彼女たちの言葉にリアリティーを与えていくのはそんな感覚のような気がする。

表題作の『ゴットハルト鉄道』は、アルプス(長野、山梨ではなくヨーロッパにあるほんもののアルプス)をトンネルで越えていく鉄道のルポを書くことになった女性作家の内面の幻想と現実の旅行記がクロスオーバーする。

ゴットハルトの中を通り抜けて鉄道は走る、とスイス人たちは言う。つまり、男の身体の中を通り抜けて走ると言うこと。長いトンネルに貫かれたその山は、聖ゴットハルトとも呼ばれています。つまり、聖人のお腹の中を突き抜けて走るということ。わたしはまだ男の身体の中に入ったことがない。誰でも一度は、母親という女性の身体の中にはまっていたことがあるのに、父親の身体の中は、どうなっているのか知らないまま、棺桶に入ってしまう。

次の『無精卵』が一番長い。ある家の中に半ばひきこもって暮らす女。樹木を<電信塔>、葉を<領収証>などと呼んだりして、幻想と現実が溶けあう日々の中に、ある日一人の薄汚れた少女が現れる。女の幻想が生み出したものなのか、それとも現実の存在なのかわからないまま、ある夜女は少女に全身を紐で縛られてしまう……。

笙野頼子の作品みたいにどこまでも孤独な幻想の中に沈むようにみせておいて、この作品は必ずどこかが外に開かれていて、女の幻想を濃縮したような少女の存在も実は外の社会の状況を如実に反映したものだったりする。カフカ的なエンディングは無力感につながらず、それでも残る生命力のようなものを感じさせてくれる作品だった。著者はドイツ在住なのだけど、それが外部の空気を吹き込んでいるのかもしれない。

『隅田川の皺男』は男女入れ替え版濹東綺譚。

★★