三浦展『下流社会 新たな階層集団の出現』

下流社会 新たな階層集団の出現

  • 年収が年齢の10倍未満だ
  • その日その日を気楽に生きたいと思う
  • 自分らしく生きるのがよいと思う
  • 好きなことだけして生きたい
  • 面倒くさがり、だらしない、出不精
  • 一人でいるのが好きだ
  • 地味で目立たない性格だ
  • ファッションは自分流である
  • 食べることが面倒くさいと思うことがある
  • お菓子やファーストフードをよく食べる
  • 一日中テレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
  • 未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上)

上で紹介した項目に半分以上該当するとかなり「下流的」ということになるらしい。ぼくは5つ該当で、ぎりぎりセーフだった。

「下流」といっても昔の「下層階級」のように経済的に貧窮しているわけではなく、必要なものは手にはいるが、人生に対する意欲に乏しい人々を指す。本書では、階層格差の広がりによって、特に若い世代にこの新たな階層が形成されつつあることを、いくつかの聞き取り調査の結果を分析する中で明らかにしている。なお、調査結果の中で「下流」といわれるのは自分の生活程度が一般と比較して「下」または「中の下」と答えた人だ。収入の絶対値ではなくここでは意識を問題にしているのだ(もちろん収入とかなり高い相関関係があるが)。

分析の中で明らかになった「下流」の人たちの特性は、おおむね冒頭に紹介したような項目だ。「上流」(生活程度が一般と比較して「上」または「中の上」と答えた人々)はちょうどこれの真逆になる。

「下流」の人々は決して不幸ではなく主観的にはそれなりに楽しい生活を送っていて、それはそれでいいような気もするが、問題は階層の固定化だ。下流の子供がまた下流にしかなれない社会は決してよい社会ではない。

本書では、機械悪平等という仕組みを提案している。所得の低い家庭の子供には試験の点数に下駄をはかせるとか、東大の学費を無料化などの案だ。単純な機会平等の徹底だと、すべてが個人の資質に帰せられて、優生学的な窮屈さが生まれてしまうという。

階層化のもうひとつの問題は、「世界の縮小」だ。同じ階層の人ばかりが住む街から外に出なくなり、携帯で決まった友人たちとだけつながることによって、経験できる世界はとても小さいものになる。世界への窓であるはずのインターネットも、自分好みの情報だけをみることを助け、かえって壁をきずいてしまう(下流の壁)。

個人的には、一昔前のように総中流でライフスタイルや価値観が均一化されているよりは、複数の生き方が用意されていた方が生きやすい。だが、「下層」階級の辛酸をなめた経験からいわせてもらうと、階層の固定化だけはなんとしても防がなくてはいけないと思う。実現可能性は別として、ホリエモンがいうような相続税100%というのもそれほど悪くないアイデアに思えてしまう(そういう、彼のラディカルなところが好きだったりする)。