小川洋子『博士の数式』

博士の愛した数式

数学は美しい。こんがらがった数式を変形していて思いがけずきれいな形になったときにそう感じることがある。そして、そうした数学の美しさは人間の頭の中だけでなく、どこかにリアルに実在しているような気がしてくる。もちろん永遠に。

数学の永遠とは対比的に、「博士」の記憶はきっかり80分しかもたない。17年前の事故の影響で80分より前の記憶は完全に失われてしまうのだ。ただし事故以前の記憶はそのままで、特に専門の数学に関する知識と熱意は少しも衰えてない。そんな博士の世話をすることになった家政婦の女性と10歳になる彼女の息子(頭が√記号のように平らなのでルートとよばれる)の3人のふれあいを抑えたトーンで描いている。

家政婦の女性は博士との交流の中でそれまでまったく縁のなかった数学に対して興味をもつようになる。友愛数、完全数(これは物語の中で大きな役割を果たす)、そしてオイラーの公式。

(e^{\pi i} + 1 = 0)

果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeのもとに舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手する。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているいるのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。

終わり近くでルートが成長して中学の数学教師になったというエピソードが語られる。数学の研究者でなく教師になったというのは、博士の数学の世界と人間の世界がつながれたということを象徴的に表しているのかもしれない、と数学の世界の住人であるぼくは感じた。

人間の寿命はせいぜい80年だ。80年たてばその人の頭の中にあったものは跡形も消え失せてしまう。でも、その人が見つけ出した数学の定理は次の世代に引き継がれる。同じように、記憶が80分で消え失せてしまうとしても、それですべてが失われるというわけじゃない。何かを次の時間に残すことはできる。それもまたこの本に書かれていることだ。