竹内薫『物質をめぐる冒険 万有引力からホーキングまで』

物質をめぐる冒険―万有引力からホーキングまで

羊でなく羊を形作っている物質をめぐる冒険。どのあたりが冒険かというと、これまでサイエンスライターとして最先端の理論物理の啓蒙書を数多く書いてきた筆者が、「物質とは何か」という哲学の問いに取り組んだところだろうか。

「モノからコトへ」が本書を貫くテーマだ。つまり、古典物理では、この世界を構成しているのは「モノ」という確固とした実在だったけど、いまや「コト」すなわち関係性こそが主体で、「モノ」というのはそのはざまであらわれる仮象に過ぎないという見方が主流になりつつある。本書ではそのことを「物質」という概念をめぐる科学史上のトピックを追うことで明らかにしてゆく。それだけだと啓蒙書の切り口を変えただけだが、友人の死という筆者の個人的体験が語られたり(このあたりは「羊」的だ)、ショートショートが合間に挿入されたりもしている(筆者は湯川薫という名前で小説家活動もしているらしい)。

考えてみれば、「モノからコトへ」というのは『論理哲学論考』でウィトゲンシュタインがいっていたことだ。「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」。「モノ」の実在性が揺らいだあと、残るのは論理的な実在性だけかもしれない。

さて、筆者の友人の死というエピソードはラストでもう一度繰り返され、大森荘蔵の「人は死んでも消えてなくなるわけではない」という言葉と結びつけられるのだけど、筆者はこの言葉を、「モノ」として人は消滅するけど「コト」としては残ると解釈している。これは生きていたという事実が残るというような甘いロマンティシズムではなく、スピノザの「人間精神は身体とともに完全には破壊され得ずに、その中の永遠なるあるものが残存する」という言葉を指しているのだと思う。

「永遠なるあるもの」。それを求めるのが科学の営みであり、これからも続いてゆくのだろう。