多木浩二『写真論集成』

写真論集成

芸術の秋ならまだしも真夏に読むにはかなりつらい本だった。四部構成だが、特につらかったのは第一部で、そこで語られるのは写真そのものではなく、むしろ写真を語る言葉についてで、ページを追っているつもりが、しばしば迷子になってどこを読んでいるのかわからなくなった。撮る「主体」と撮られる「現実」という両極端な二元論を越えて、主体が意識せず現実そのものではない未知のものが、写真には写るということをいわんとしているのだと思うのだが。

第二部は具体的な写真家をテーマにした議論になり、第三部はメディアと写真、第四部はファッション写真の歴史と、どうにかページが目が脱落せずに読めた。

とはいえ、このままではすぐに読んだ内容を忘れてしまいそうなので、せめて第二部で取り上げられた写真家の名前だけでも、メモっておくことにする(括弧内はぼくが勝手につけたキャッチフレーズ)。

アジェ(古きパリの街)、マン・レイ(おしゃれな前衛芸術家)、ウォーカー・エヴァンズ(片隅の発見)、バーバラ・モーガンとマーサ・グレアム(ダンスダンスダンス)、アウグスト・ザンダー(二十世紀の肖像)、東松照明(戦後という時代を変幻自在に撮り続けた旅人)、ベッヒャー夫妻(工業建築物萌え~)、シンディ・シャーマン(自作自演)。