矢作俊彦『ららら科學の子』

ららら科學の子

1968年。激しさが最高潮に達した学生運動の中で、「彼」は警官相手に殺人未遂を犯し、中国へ密航する。そこで待ちかまえていたのは文化大革命の混乱だった。辺境に下放されていた「彼」は、蛇頭の船に乗り30年ぶりに東京に帰ってくる。

もはやどこにも基盤をもたない「彼」の眼には、現代の東京(といっても計算上は1998年頃の東京であり、もう一昔近く前だ)は、リアリティーを失って、SFの中の未来都市のように映る。だから「彼」はその変化に驚くより、変化していないことに驚く。出会うのは見知らぬ人々ばかりだ。かつて知っていた懐かしいはずの人々は電話を通した声としてしか登場しない。「彼」が街や人々に対して抱く感情はノスタルジーのようなものかもしれない。でもそれは、過ぎ去った過去ではなく、これから来るものに対するノスタルジーだ。

これは小説というより一種の架空の旅行記だ。中国に残してきた妻、生き別れになっている妹、蛇頭とのいさかいなど、個人の中に閉じこもった予定調和の物語に陥ってしまいそうな場面、場面で、街が静かに物語を解放する。名前のない「彼」の代わりに、街が名前を持つ(「彼」の生まれ育った街の名前は明記されていないが、周辺の描写からして池ノ上だ)。

読みながら、映画化したら誰をキャスティングするだろうと考えてしまった。「彼」はもう少し若い時の緒方拳をイメージしながら読んだ。ちょっと意外なところでは竹中直人なんてどうだろう。最近、いい仕事をしていないようだが、『東京日和』に続いて東京をテーマにしたこの作品の映画化で復活なんてことを夢見てしまった。

この本ではカート・ヴォネガット『猫のゆりかご』が重要な役割を果たす。彼が中国にもっていった唯一の日本語の本がそれだったのだ。代わりに同じ作者の『スラプスティック』をもっていったら大変だったろうと思った。何せ、超小型化した中国人が身体に入り込んで起きる緑死病という奇病が登場するのだ。