村上春樹『1973年のピンボール』

1973年のピンボール (講談社文庫)

二度目か、ひょっとしたら三度目に読むのかもしれないが、ぼくの頭の中に残っていたのは双子の存在とゴルフ場の風景だけだった。1973年秋、東京、そしてそこから遠く離れた海辺の街で、平穏でありながらずっと心に残りそうな日々が何気なく通り過ぎてゆく。大きな出来事がおきないだけに、かえってひとつひとつのシーンが輝いているように感じる。貯水池での配電盤の葬式。養鶏場に78台並んだピンボールに同時に電源が入る。あこがれの3フリッパーのスペースシップとの心のこもったやりとり。そして、最後は二つの別れ。ひとつは夕方の6時海辺の街のバーで、もうひとつは11月の日曜日の朝バス停で。少なくとも、これらのシーンは絶対忘れない……ことを希望する。

これで村上春樹の「僕」というキャラクターが完全に生命を得たような気がするけど、その「僕」から大きく離れて現代という時代の不気味さを描こうとした実験作『アフターダーク』の唯一の教訓的な言葉「ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲め」というのはこの作品でバーの主人ジェイがいっていた言葉だということに気がついた。