トルーマン・カポーティ(村上春樹訳)『ティファニーで朝食を』

ティファニーで朝食を

オードリー・ヘップバーン主演の映画は何度かみているし、原作も新潮文庫版で読んだことがあるが、村上春樹訳となれば読まないわけにはいかない。

映画は映画で大好きだけど、原作で描かれているようなホリー・ゴライトリーならば、ラストでAチームの人のとってつけたような言葉で改心したりはしないと思った。ホリー・ゴライトリーの中には何人ものホリー・ゴライトリーがいて(その中には無垢なルラメー・バーンズも含まれる)、そのなかの少なくとも一人は、彼女がつかもうとしていた幸福や、時間と労力をかけて築き上げてきた「ホリー・ゴライトリー」そのものが幻想や幻影に過ぎないということを、指摘されるまでもなく理解していたはずなのだ。それでも彼女はその幻影や幻想にしがみつかざるを得なくて、それは「いやったらしいアカ」のリアリティがもたらす業のようなものかもしれない。

ほかに短編が3編収録されていて、そのうち2編『花盛りの家』、『ダイアモンドのギター』はたぶん未読。でもなんといっても心打たれたのはラストの『クリスマスの思い出』だ。主人公の「親友」がクリスマスの朝凧揚げをしながら、「彼女の手はぐるりと輪を描く。雲や凧や草や、骨を埋めた地面を前脚で掻いているクイーニーなんかを残らず指し示すように――「人がこれまで常に目にしてきたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。私はね、今日という日を目に焼きつけたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないよ」」とまさにスピノザみたいに悟るシーンはすばらしい。その痛々しいまでの無垢さ。無垢さは傷つけられることによって、内部に核のように凝縮していつまでも残り続ける。

いつもながら村上春樹訳は緻密でいい。

お勧め★