コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』

犬は勘定に入れません 上―あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎 (1) (ハヤカワ文庫 SF ウ 12-6)犬は勘定に入れません 下―あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎 (ハヤカワ文庫 SF ウ 12-7)

文庫になる前、ハードカヴァーの本書をみつけて、読みたいとずっと思っていたのだが、消費税をいれるとほぼ3000円という価格に躊躇するうちに時間がたって、やがて、そろそろ文庫化されるんじゃないかという観測が首をもたげてきて、見送り続けてきたが、ここにきて文庫化されようやく根比べが終わった。しかし、考えてみれば、上下間あわせて2000円弱なので、別にハードカヴァー買ってもよかったのかもしれない。

タイムトラヴェルが実用化された21世紀中頃、オクスフォード大学史学科の職員、学生はパトロンであるレイディ・シュラプネルの教会復元イベントに借り出されててんやわんやの大騒ぎ。そんな中復元に必要な主教の鳥株という珍妙なオブジェを探す、主人公ネッドは、タイムトラヴェルをやりすぎて、時差ぼけならぬ時代差ぼけになってしまう。そして、レイディ・シュラプネルの魔の手からのがれるため、休息方々、ある使命を帯びて、19世紀末ヴィクトリア朝の時代へと旅立つ。それは簡単な任務のはずだったが、ネッドは時代差ぼけのせいで、ほとんどその内容を把握していなかった。向こうで合流した同じく史学科の女子学生ヴェリテともども、彼らのせいでひきおこされたタイムパラドックスを解消するため、孤軍奮闘する……。

同じシチュエーションの前作『ドゥームズデイ・ブック』はトラウマになりそうなくらい悲惨な話だったが、こちらはバック・トゥー・ザ・フューチャーのようにお気楽なタイムパラドックスもの。読んでて楽しかったけど、もう少し、深みや意外性があってもよかったかな。

本書では、時空連続体(歴史の流れそのもの)がみずから齟齬を解消するようにタイムトラヴェルの時間や場所をずらしたりするのだけど、もうほとんど意志をもった神といっても過言じゃない。あからさまにそうとは書かれていないけど、タイムトラヴェルによって神の存在が顕在化するわけだ。それにある種の安心感や肯定感を感じる人もいるかもしれないけど、でもつまりそれは宿命論ということで、そこにある苛酷さ、窮屈さをちゃんと描かないことは、不十分だとも思った。あるいはそれがもうすぐ原書が出版されるというこのシリーズの次回作のテーマなのかもしれない。