トム・ジョーンズ(岸本佐和子訳)『拳闘士の休息』ebook

拳闘士の休息 (河出文庫)

今年の春くらいに書店のイベントで見つけて興味をひかれたが、機会を逸してこのまま読まないで終わりそうなところに作者の訃報。次に読む本に昇格した。

読む前はポストモダンでSF的な作風なんじゃないかと勝手に思っていたが、実際はシンプルで力強い人間ドラマに深い洞察が入り交じる、知っている作家でいうとレイモンド・カーヴァーのようなタイプだった。短編ばかり書いたのも共通だ。まとまった作品としてはこの短編集のほかもうひとつ短編集があるだけだ。そちらも舞城王太郎訳で邦訳が刊行されている。

冒頭の2作品はベトナム戦争の戦場を舞台にした迫真の描写が特徴的なので実体験だろうと思ったが、入隊はしたもののボクシングの試合で受けた外傷からてんかんになって除隊しベトナムにいったことはないらしい。でも、全体的に個人的な体験に基づく作品が多いのは間違いない。それが寡作の理由のひとつだろう。

登場人物は主にアメリカ社会の片隅で生きる人たちだ。みな何かが欠落している。一番心を動かされたのは、末期ガンの女性の治療の過程や苦痛、死までを丹念に描いた『わたしは生きたい!』だ。読むのがほんとうにつらかったけど生きるということについて正面から向き合った作品だ。後は、高校の特殊教育出身でおひとよしな男の成長を描いた『シルエット』もユーモラスで暖かくていい。

だが、一番好きなのは『白い馬』だ。てんかんの発作で記憶喪失になった男がインドで意識を取り戻す。浜辺でみかけた死にかけの馬に深く心を動かされなんとか助けようと奔走する。ちょっとファンタジックで気持ちいい物語だ。