村上春樹『騎士団長殺し』

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

好きな登場人物は当然騎士団長です。

これほど集中して本を読んだのはほんとうに久しぶり。まさに読みふけるという感じだった。『1Q84』は、スタイルとしても内容としても村上春樹らしくない作品で一応堪能としたとはいえ、これじゃない感がぬぐえなかったが、今回は決して新しさはないものの村上春樹作品の王道をいく展開。一人称の男性主人公、親しい人との別離、怪異との遭遇、通過儀礼としての冥界めぐり。これまでの作品からの焼き直しといわれればそれまでだけど、はまるところにはまった感じがしたのだった。はまりすぎだろうと突っ込みたくなることはあったが。

これ以降ネタバレ。

ひとつ新しい要素があるとすれば子供をもつこと、父になることがテーマの中に組み込まれていることだ。登場人物は自分の子供かもしれないしそうでないかもしれない存在に対しての態度を問われている。免式さんはそのあいまいさゆえに対象に惹きつけられ、あいまいさをそのままに保とうとする。主人公はあいまいさには関心をはらわずただ自分の子供として愛そうとする。この二人の態度は対照的だ。神の存在に対しての態度のように、信仰の外側に居続けようとするか、信仰の中に飛び込むか。

読み終えて一番気になったのは果たして続編があるのかどうかということだ。それによってこの作品の読み解きは大きく変わってくる。一応第2部まででおきた問題は一通り解決し登場人物は平衡状態にあるので最初これで完結だと思った。だが、次の2つの理由でやはり続編はあるような気がしてきた。

  • プロローグがあるのにエピローグがない(顔のない男の肖像が描けてない。村上春樹はこういう対称性にこだわるはずだ)
  • 免式さんとまりえの物語が宙づりのままである

特に後者に関して、免式さんの白髪、別の人格が免式さんを支配するときがありそうなことから、実は免式さんとまりえのエピソードは村上春樹によるツイン・ピークスの語り直しなのではないかという確信を持った。つまり、まりえ=ローラ・パーマー、免式さん=その父、免式さんの別人格=ボブだ。意識しているかどうかはわからないが免式さんの真の目的がまりえとの近親相姦的な関係であることは疑いようがない。

続編があるとすればこのツインピークス要素が前面に出てくるのではなかろうか。

一方、主人公がメタファーの世界をくぐりぬけ現実世界にもどってきて自ら父になることを選択したことで、このツインピークス要素をキャンセルすることに成功したという解釈も成り立ちはする。それだったら続編はないことになる。

続編の有無が明らかにならないと読み解きが定まらないというのはそういうことだ。いや、さらに考えるなら、この定まらない状態こそが著者の意図したことなんじゃないだろうか。続編の可能性を残しつつも実際には書かない。それが一番すばらしい。