木田元『反哲学入門』

反哲学入門 (新潮文庫)

『反哲学入門』と題されているが、語りおろしということもあり、とても易しく哲学史の見取り図が学べる本。いろいろ哲学書を読み散らかしてきたがまずこの本を読んでおけばよかった。

なぜ「反哲学」かというと、著者(および著者が依拠するハイデガー)によれば、西洋哲学はプラトン以降自然を越えた「超自然的=形而上学的」な原理を設定してそれを通して世界を把握しようとしてきた。これは西洋独自のもので筆者を含む日本人にはほんとうには理解できない。ニーチェはそうした超自然的なものを攻撃し本来の自然と調和した考えを復権しようとした。ハイデガーなどニーチェ以降の思想家は多かれ少なかれ彼の影響を受け、従来の超自然的な「哲学」とは断絶した、いわば「反哲学」とでも呼ぶべき考えをとっているという見立てからだ。

おおまかな流れをたどると、プラトンの「イデア」が超自然的な「哲学」のはじまりで。弟子のアリストテレスがそれを可能態から現実態に向かう運動という形で動的に補正した。キリスト教の時代になりアウグスティヌスがプラトン哲学をキリスト教神学に取り入れ、中世に入ってそれまでキリスト教世界では忘れられていたアリストテレスがイスラム経由で入ってきてトマス・アクィナスらによりスコラ哲学が誕生する。近代に入りデカルトが「我思う故に我あり」と「思う我」を超自然的原理の位置に置いたが、それはまだ神の理性の後見の下だった。理性を決定的に神の軛から自由にしたのはカントで、その代わり人間に理解できるのは現象界だけで、物自体の世界は理解できないとした。ヘーゲルは、精神は、労働を通じて弁証法的にこうした限界を乗り越えて成長していけると提唱した。

ニーチェはこうした流れすべてを否定し、新たな価値を打ち立てようとした。

終章はハイデガー。ナチへの協力とかユダヤ人の恩師フッサールを見捨てたり隣人をナチに売ったりなど極悪非道な部分を指摘しつつも、書いたものがすごいことは認めざるをえないとのこと。「それはなんであるか」と問うことが「哲学」のはじまりだが、それによって自然との根源的な調和が破られてしまったという。

スピノザ『エチカ』を読んで、「実体」とか「延長」とかなぜこんな用語と定義なんだろうと思ったことが、本書の数ページをみれば平易にわかるし、地ならし的に読んでおくとよい本だ。ただ、超自然的な思考が日本人にわからないというのはちょっと違う気もする。ものごとを抽象化して考えることに慣れているかどうかじゃないだろうか。

★★★