川上未映子『ヘヴン』

ヘヴン

同級生からひどいいじめをうけている中学生の少年のもとに「わたしたちは仲間です」というメッセージが届く。会いにいってみると、同じようにいじめられている同級生の少女だった。ぼくだったら、同病相憐れむという感じがして、かなりがっかりすると思うが、このコジマという少女は単なるいじめられっこではなく、自らの意志で自分にスティグマをつけ、いじめを試練であり意味があるものとして引き受けつつ、それを乗り換えることで、自分を強者だと思っているやつらに復讐しようとしているのだった。

コジマの考え方は、ニーチェ風にいえば、僧侶的なルサンチマンで、弱さと強さを転倒させようとしているのだ。少年は違和感を感じながらも、コジマの弱さ=強さに惹かれてゆく。

夏休み、二人で「ヘヴン」という絵を見にいくという結局中途半端に終わってしまったイベントをはさんで、秋をむかえると、二人の間に溝が広がる。コジマはどんどん過激に弱さ=強さに磨きをかけ自らの信念を強めてゆき、少年は日々のあまりの苛酷さに「信仰」を失いはじめる。そんな中、少年は偶然いじめをしている側の同級生の一人百瀬に会い、話をする。彼は、いじめていることも、いじめられていることも、すべては偶然であり何の意味もない。善悪なんてものも、自分の都合で世界を解釈しているだけに過ぎないと、ニーチェみたいなことをいって、せせら笑う。左右の耳元でささやく天使と悪魔みたいに、まったく正反対のコジマと百瀬の言葉が少年の頭の中に響く。

クライマックスで、コジマはその弱さ=強さを最大限に発揮して、完膚無きまでの勝利を収める。そして少年は自分がその勝利の中に入り込めないことを知る。

そして、ラスト、新たに見いだされたあるがままの世界の美しさに、少年は目を見ひらく。この情景の描写はほんとうにすばらしい。しかし、それはコジマとの間の二人の世界「ヘヴン」から追放されたのと引き替えに得た美しさだった。

たまたまクリスマスの日に読み終えたので、自分へのいいプレゼントになったような気がする。象徴的で、とてもよく練り上げられた物語だった。