C.ディケンズ(青木雄造、小池滋訳)『荒涼館』

荒涼館〈1〉 (ちくま文庫)荒涼館〈2〉 (ちくま文庫)荒涼館〈3〉 (ちくま文庫)荒涼館〈4〉 (ちくま文庫)

『クリスマス・キャロル』はもちろん、大昔に『大いなる遺産』は読んだことがあるし、『二都物語』、『デイヴィッド・カッパーフィールド』などの作品のタイトルは知っていたが、この『荒涼館』の名前を目にしたのは村上春樹の短編小説が最初で、比較的最近のことだった。別にその中で内容が紹介されたり、ストーリーとの関連が匂わされたりしたわけではないのだが、とにかく久しぶりにディケンズが読みたくなった。

ちくま文庫から出ているはずだったが、本屋で探してもない。長らく絶版になっていることがあとからわかった。すっかりあきらめていたところに、昨年の10月復刊されるという情報が入った。

とはいえ、文庫で400ページ前後の大部が4冊。買うのも読み始めるのも勇気が必要だった。登場人物が多くて視点が章ごとに変わるので、なかなか入り込めず最初の1冊を読むのにかなりの時間を費やしてしまった。でも2冊目以降はもう夢中になって読み進めた。いくつものエピソードがからみあいながら流れていき、無関係だと思っていた人と人の間に次に次につながりが浮かび上がる。

メインのストーリーは、出生の秘密をもつ少女エスタがさまざまな人々や事件と関わりながら成長してゆく物語。そこに遺言の執行をめぐる延々と続く訴訟事件や登場人物それぞれのさまざまな物語がからみあう。どの人物にも個性的なキャラクターが与えられている。そのキャラクターが若干類型的なところを含めて、現代のいわゆるキャラクター小説の走りといってもいいのかもしれない。

いったん死亡フラグがたつと、さしたる要因なしにあっけなく人が死んでいくととか、あらを探せば見つかるし、深く心に刻みつけられる何かが残るといったタイプの小説ではないが、ディケンズの素朴なヒューマニズムには心洗われるし、全編をつらぬく雄大でゆったりとして、かつユーモラスな語り口は現代のあわただしい小説とは異なる時間感覚を感じた。そういうのを味わうだけでも読む価値はあるし、何よりとてもおもしろかった。これぞ長編小説。