青山拓央『新版 タイムトラベルの哲学』

新版 タイムトラベルの哲学 (ちくま文庫)

SF映画など虚構の世界では、自明なことみたいに描かれているけど、タイムトラベルというのが具体的にどういう現象をさしているのか考えれば考えるほどわからなくなる。何が移動するのか?移動してたどりついた世界は移動する前の世界とどういう関係なのか?つまり、タイムトラベルは可能か、という疑問ではなく、タイムトラベルとは何か、という疑問だ。本書はそれにこたえようとしている。

文庫化にあたって加筆されているので、ちょっと構成が複雑になっている。「文庫版まえがき」と「文庫版補章」という新た視点で書かれた短い章が旧版の内容をはさみこんでいるのだ。

旧版部分は、タイムトラベルをほぼ、客観的時間<前後の時間>と主観的時間<私の時間>の分離として定義して、おもに主観的時間をめぐる考察に紙幅がさかれている。タイムトラベルを論じるには時間論は避けて通れなくて時間論において主観的な時間はメイントピックだが、個人的にはそこに重点を置きすぎたような気がする。物理学的、数学的な時間を前提としてその上でのタイムトラベルがどういうものか論じるトピックがもっとあってもよかった。「文庫版補章」の「時間対称的タイムトラベル」も対称性にこだわらず、静的な時間軸に順序だけ仮定して議論した方が、すっきりした議論になったのではないだろうか。

第II部の時間の分岐モデルに関する議論はおもしろかった。(A) 時間は単線で改変もできないモデル (B)単線だけど改変はできる (C)時間が分岐する多世界モデル、という3つのモデルがあり、その中でタイムパラドックスは(B)のみに発生する。

もちろん、本書に結論が示されているわけじゃなく、時間とは何かという古くからの難問について、タイムトラベルという側面から光をあてる、あらたな議論のきっかけになる本だと思う。