原田裕規編著『ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」』

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

まず、ぼくにとってのラッセン的なものとの出会いを語っておく。繁華街を歩いていると、若い女性が通行人に何か手渡そうとしていて、そのとき風邪をひいていたぼくはとっさにティッシュだと思い手をのばすと何かチケットのようなもので、今展示会やっているから中に入れという、その展示会というのがアールヴィヴァン社の悪名高きエウリアン商法との出会いだ。もちろん中には入らなかったので展示されていたのがラッセンかどうかはわからないが。アートがわからない若い男性にそういう商法で売りつけようとしているものという刷り込みがあったせいもあり、ラッセンの作品をまともに見ようと思ったことはなかった。

ラッセンはほぼ日本でだけ売れているらしい。その事実は世界的にも有名らしく、ロシア大使館で無料で美術展をやるということで中がのぞけるチャンスと参加してみたら、インテリアアート的な作品ばかりで辟易としたことがある。

その商業的な成功と裏腹に現代美術の世界からは完全に黙殺されているラッセンの作品。この状況を批評的にとらえる視点から、2012年8月に本書の編著者である原田裕規さん(1989年生まれ。若い!)により、ラッセン作品と、現代美術の先端的な作品と、公募展の常連作家の作品という、日本のアートシーンの中でまったく分断されている作品をひとつの会場に並べて展示する『ラッセン展』という展覧会が開かれた。本書はその延長戦で、編著者を含む15名の執筆者がこういう状況をめぐって鼎談したり、書いた文章をまとめたものだ。

あらためてネットで検索してラッセンの作品をみてみたが、(本書にはモノクロの小さな図版しか収録されてない。それは本書の欠点だけど、収録したら2倍以上の価格になってしまっただろう。ネットで何でも探せる時代でもあるし)、そのイメージの貧弱さ、細部と内面のなさ、同工異曲ぶりに驚く。同じようにして販売されたヒロ・ヤマガタやFFの天野喜孝の作品は細部がちゃんとあってもう少しアートとの接点が感じられるものだったが、ラッセンはかなり際立っている。そのせいか(執筆者が現代美術サイドの人ばかりというのも大きいかも)収録されている文章も、現代美術をめぐる状況の同じようなメタ視点やメタメタ視点のテイストのものが多かった。おもしろかったのは、見取り図を描いてくれた巻頭の鼎談(大野左紀子さん、暮沢剛巳さん、中ザワヒデキさん)、日本のメインカルチャーであるヤンキー文化との関わりの中でラッセンをとらえた斉藤環さんや大野左紀子さんの論考、紙幣など経済学のメタファーでラッセンを語る櫻井拓さんの論考、ラッセンが現代美術でメインストリ−ムとして評価されているという2056年の視点で書かれた大山エンリコイサムさんのSF論考、そして、星野太さんによるラッセンの出しているCDやトリビュートCDをきいてみるという企画などなど。

あとがきに書かれているように、本書にラッセンのマーケティングに関わった人とか登場すれば、幅が広がってさらに面白くなっただろうと思う。

★★