円城塔『道化師の蝶』

道化師の蝶 (講談社文庫)

芥川賞受賞の表題作と『松の枝の記』の2編が収録されている。

『道化師の蝶』は、奇妙な文様の蝶、それをとらえるための特殊な網、ほとんどの時間を飛行機の中で過ごし乗客の着想をとらえてビジネスの種にしている実業家、友幸友幸という数十もの多言語で作品を書き続ける正体不明の小説家、友幸友幸を追い求めて調査することで稼ぎを得ている男などから編み上げた緻密なタペストリーのような作品。同じシーンが変奏のように微妙に姿を変えて登場し、因果と時間は循環する。

魂の不滅とはまったく別の意味で、思考はミームとして人の意識や書物、電子データというふうに形を変えながら生き続けてゆく。蝶はいわばその象徴だ。

『松の枝の記』は、お互いの作品を翻訳し合う小説家二人。最初に翻訳した作品は「主人公はタイムマシンの整備を仕事にしており……」という要約から、円城塔が翻訳した『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』のことを言っていて、ある程度実話がベースになっていたりするのかと思ったが、全然そんなことなかった。翻訳された作品を訳し返したり、相手が書く前に翻訳してしまったりなど、好き放題のあげく、日本語圏の「わたし」は英語圏の「彼」に会いにいく。空港で出迎えたのは女性で、「彼」の姉だと名乗る。家についても「彼」の姿はなく……。

という物語に、人類史がかぶさってくる。20〜30万年前に誕生してから地球上あまねく広がっていった旅の歴史だ。「あなたたちは、何故、旅をやめてしまったのです」という究極の質問。しかし、今またあらたに旅は始まる。去ってゆくもの、追いかけるもの。

巻末の鴻巣友季子さんによる解説がすばらしい。けっこう体をなしてなくて読んだ後興ざめになってしまう解説が多いのだが、これに関してはいささか混乱気味の頭を整理してくれた。『道化師の蝶』の最後に登場する謎の蝶収集家の老人の正体もこの解説が教えてくれたのだ。