京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)

人はそれぞれ自分固有の世界観をもっているものであるが、資質とか機会のせいでどこかしら歪みがあるはずだ。今回焦点があてられている人物は、知性と教養に恵まれその世界観は全きものと思われた。だが、そこにはたったひとつ大きな瑕があった。その瑕が悲劇を呼ぶ。

京極堂のシリーズはいつも果てしなく話が広がってこれで収拾つくのかなと思わせるのだが(『絡新婦の理』以降はほんとうに収拾がついているかどうか微妙だが)、今回は舞台はほとんどある館の中だけであり、謎も小振りで、ヒントがあちこちにばらまかれているので、結末を読むまでもなく、半分くらいで自分の中で収拾がついてしまった。だが、それでも夢中になって読ませる技量はたいしたものだと思うし、逆に今回の結末は、ヒントがあれだけ提示されていたからこそ、受け入れられたのであって、そうでなければ、そんなことあるわけないと一蹴したかもしれない。その瑕の存在を。

いつもながら本編同様におもしろいのが、京極堂の長舌で、今回のテーマは儒教だ。儒者である林羅山が仏教におもねるように見せながら、換骨奪胎してしまったという話。仏教はもともと出家主義で因果応報による輪廻を説くものであり、今の先祖の霊を弔う葬式仏教といわれる姿はむしろ儒教の教えが色濃く反映されたものなのだ。

あと、いつも翻弄されるばかりの関口巽が、今回まがりなりにも活躍をみせるのが、シンパシーを感じているぼくとしてはうれしかった。

★★