高野文子『黄色い本―ジャック・チボーという名の友人』

黄色い本―ジャック・チボーという名の友人

このコーナーではじめてとりあげるコミック。このコーナーをはじめたのが2003年春で、それからまったくコミックを読んでいなかったということはもちろんないのだけれど、たとえば『20世紀少年』の第14巻を読むということは「読書」という行為とはちょっとちがうもののような気がしたのだった。それは「消費」といったほうがぴんとくるようなことで、読後に特に語りたいこともなかったのだ。

ところで『黄色い本』のテーマは読書だ。読書について書かれたコミックを読むのは、読書といっていいかどうかわからないが、細かい字の学術書を読む以上に苦労したので、もうこれは読書と呼ぶしかないだろう。買ったのはもうずいぶん前で、すぐに読もうとしたのだが、どういうわけかこの人の書く絵から内容を読み取るのが、ぼくにとってはとても難しくて、挫折してしまったのだ。映画のヌーベルバーグ以上に斬新なコマ割りが、どこに導いてくれるかわからなくて、道を見失ってしまったのかもしれない。今回、たまたま、大体の行先をあらかじめ聞く機会があったので、そういうところに連れていってくれるなら、いっちょ乗ってみようかと、主人公といっしょにバスに乗り込んだ。

ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』という大部の小説をのめり込むように読む少女。もう、その小説は彼女の生活の一部というより、人生そのものになっている。だが、いつか読了という形で別れは訪れて、少女は力強く、平凡ではあるが愛すべき自分の生活へ足を踏み出す。「いつでも来てくれたまえ、メーゾン・ラフィットへ」という声がこだまする中で。

そう、これから彼女はいつでもいきたいときに、メーゾン・ラフィットにいくことができるのだ。つらいとき楽しいとき、どんなときでも。それは一生かけて自分用の居心地のいい家を手に入れるのと同じことだろう。それが本のすばらしさだ。

★★★