堀江敏幸『熊の敷石』

熊の敷石

堀江敏幸初の文庫化。芥川賞を受賞した表題作のほか二編。

「私小説」というのは毀誉褒貶が激しい言葉なのであまり使いたくないのだが、堀江敏幸の作品をひとことでいえば「私小説」としかいいようがない。すべて一人称の「私」の視点で書かれているので、少なくとも「ぼく小説」や「オレ小説」でないのは確かだ。ということで、筋らしい筋はないのだが、久しぶりにフランスにやってきた「私」が、旧友とつかの間の再会をして、友人が所用で旅立ってからも数日その家にとどまる、その間の会話、見聞きしたもの、それらから生まれる「私」の内面の思考が綴られている。この友人というのは祖父祖母の代からフランスに住むユダヤ人で、ただそのことだけでも、日本に住む日本人のほとんどヴァーチャルといっていいような平板さとは比べようもない重層さを引き受けている。そういうものが友人の撮った写真とか、読んだ本に関する話の中にひょっこりと顔を出してきて、それは「私」が彼との間に感じている「なんとなく」という感覚に基づく友情は実はすれちがっていたのでないかというかすかな不安を起こさせる……。

この作品の中には3種類の熊が出てきて、それぞれ特徴的でおもしろい。冒頭の夢の中に登場する地面を覆い尽くす熊の大群。持ち主同様、目が見えない熊のぬいぐるみ。そして、ラ・フォンテーヌの寓話の中に出てくる、蠅を追い払うために敷石を投げつけていっしょに友達まで殺してしまう熊。この寓話の教訓は「無知な友人より賢い敵の方がずっとまし」というもので、「私」はそれに自分と友人との関係のアナロジーを見てしまう。

『砂売りが通る』は、友人の三回忌のあと、友人の妹、その娘といっしょに海岸を歩く話で、ぼくとしてはこちらの方が好きだ。精巧な砂の城を作るのが趣味の少女というのが魅力的だし、「砂売りが通る」という言葉がおしゃれだ。これはフランス語で眠くなることを意味していて、その言葉通りに、海岸で風にあおられた砂粒が目にはいると「私」は心地よい眠気に誘われるのだ。目がさめると親子は城を作っている……。

クラウン仏和辞典によると「砂売り」(le marchand de sable)というのは、「砂をまいて子供たちの目を閉じさせる伝説上の人物」らしい。ライ麦畑で外に飛び出ようとする子供を受けとめる the catcher in the rye よりもこっちの方が楽しそうだ。

もう一編は『城跡にて』。「私」自身が「壁龕に置かれた椅子に肩をすぼめ、上半身を無理矢理押し込む」ようにして写っている一枚の写真をきっかけに回想されるコメディー。

★★