加藤典洋『日本の無思想』

日本の無思想 (平凡社新書 (003))

ぼくは日本人としてはかなり異端に属すと思っているが、それでもしっかりホンネとタテマエを使い分けて生きていて、よく、タテマエに従うふりはするけどホンネは守るぞというような考え方をしてしまうことがある。筆者は、実はタテマエとホンネどちらも入れ替え可能で、「どっちでもいい」という、思想を成り立たせないようなニヒリズムをささえているという。本書では、それはなぜかという疑問をなげかけるところからはじまって、近代において失われている公共性を立て直すにはどうすればいいかというところに話はもっていかれる。

結論として、筆者は、ホンネとタテマエは(太平洋戦争の敗戦を例とするような)全面屈服したという過去の記憶を隠蔽するための自己欺瞞装置であり、それを克服するには全面屈服を認める勇気が必要であるという。また、公共性については、対極として私情と私利私欲を人間すべてに共通する普遍的なものととらえ、それらを礎にして公共性をたてなおすことを提案している。

筆者の議論の運びはとても見事なのだが、ただひとつ、私情と私利私欲については、根源的とはいいきれず関係性から生まれる二次的なものであることに変わりはないような気がする。つまり、状況次第でころころ変わりうるものなのだ。そういうものを土台に公共性が築いてゆけるのかとても疑問だ。

★★★