読書ノート

コンラッド(中野好夫訳)『闇の奥』

原題は”Heart of Darkness”。『地獄の黙示録』の元ネタであり、T. S. エリオットの『荒地』にもその一節が引用されている、コンラッドの代表作だ。コンラッド自身が船員時代に経験した出来事をほぼそのままなぞった物語だそうだ。 連絡がとれなくなった象牙商人ク...

竹内薫『物質をめぐる冒険 万有引力からホーキングまで』

羊でなく羊を形作っている物質をめぐる冒険。どのあたりが冒険かというと、これまでサイエンスライターとして最先端の理論物理の啓蒙書を数多く書いてきた筆者が、「物質とは何か」という哲学の問いに取り組んだところだろうか。 「モノからコトへ」が本書を貫くテーマだ。つまり、古典物理では、この世...

『コンラッド短編集』(中島賢二訳)

コンラッドは風邪薬の名前じゃなくて、19世紀末から20世紀はじめにかけてイギリスで活躍した小説家だ。出身は今のウクライナでポーランド系の家系に生まれ、母語もポーランド語だったようだ。船員として世界各国を回るうちに英語を身につけ、37歳の時に陸に降りて小説家としての道を選んだ。その...

Tom Stafford, Matt Webb『Mind Hacks ―実験で知る脳と心のシステム―』

IT関連でかゆいところに手が届くテクニックを満載したシリーズ、オライリーのHACKSからITではなく人間の脳と心にスポットをあてた本がでた。もちろん単に知識を提供してくれるだけの本ではなくそれを読者が実際に試せるようになっている。 通して読んでわかるのは、ぼくたちが見たり感じたりし...

スティーヴ・エリクソン(柴田元幸訳)『黒い時計の旅』

本土の船着場とダヴンホール島を行き来するあいだ、いつも一瞬だけ、船着場も島も見えなくなる瞬間があった。その瞬間には、霧に包まれて水上に浮かぶ彼の船以外、もはや何ひとつ存在しなかった。空から太陽がなくなっても。国と名のるものがすべて消滅してしまっても、何も変わりはしなかっただろう。...

小川洋子『博士の数式』

数学は美しい。こんがらがった数式を変形していて思いがけずきれいな形になったときにそう感じることがある。そして、そうした数学の美しさは人間の頭の中だけでなく、どこかにリアルに実在しているような気がしてくる。もちろん永遠に。 数学の永遠とは対比的に、「博士」の記憶はきっかり80分しかも...

三浦俊彦『ラッセルのパラドクス ―世界を読み替える哲学―』

Rという集合を「自らを要素として含まない集合」と定義する。このときR自身はRに含まれるだろうか。含まれるとすると「自らを要素として含まない」という定義に反するし。含まれないとすると、「自らを要素として含まない」という定義に合致してしまうのでRに含まれることになり、これまた矛盾だ。...

並木美喜雄『量子力学入門 ―現代科学のミステリー―』

「世の中に不思議なものは何もないのだよ」と京極堂はいうけれど、量子はやっぱり不思議だ。 電子や中性子などの素粒子は波でもあるという。粒子のイメージだとある一点に凝縮して存在しているはずだけど、波だとその存在そのものが薄められて広がっていることになる。波だと考えてしまえば、位置と運動...

ラース・スヴェンソン(鳥取絹子訳)『退屈の小さな哲学』

筆者は1970年生まれのノルウェーの哲学者。 ぼくは退屈というのはあまりきらいじゃなくて、どこか優雅なものだとさえ思っていて、この本を手にとったのも小さくて優雅な退屈を味わえるかなと思ったからだ。だが、筆者が問題にしているのは、ぼくが思い描いたような「状況の退屈」つまり「ある決まっ...

グレッグ・イーガン(山岸真訳)『ディアスポラ』

年代記形式でいくつかのエピソードを絡み合わせ、はるか彼方への孤高で孤独な旅の軌跡をたどってゆく。 紀元30世紀。人類のほとんどは仮想現実の世界でソフトウェアとして生きていて、ほぼ永遠といっていいような生命を得ている。たいていの「人間」親となる数名の精神の要素を組み合わせることによっ...

『スピノザ往復書簡集』(畠中尚志訳)

「卓越の士、敬愛する友よ」なんていう呼びかけではじまるメールを一度でいいからもらってみたい。 これはスピノザがさまざまな人々と交わした書簡のうち現存する84通をあつめたものだ。当時は書簡が学術雑誌の代わりをしていたらしく、回覧したり、出版する目的で残されていたらしい。だから、内容も...

三浦展『下流社会 新たな階層集団の出現』

年収が年齢の10倍未満だ その日その日を気楽に生きたいと思う 自分らしく生きるのがよいと思う 好きなことだけして生きたい 面倒くさがり、だらしない、出不精 一人でいるのが好きだ 地味で目立たない性格だ ファッションは自分流である 食べることが面倒くさいと思うことがある お菓子やファーストフードをよ...

A.J.ジェイコブズ(黒原敏行訳)『驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!』

ブリタニカ百科事典を全巻読破しようとした男性のセルフ・ドキュメンタリー。典型的な小市民で、黴菌恐怖症、家族や友人に要らぬ知識を疲労して煙たがられるような情けなさをみせながらも、書斎に閉じこもるのではなく、クイズ番組に出場したり、メンサ(IQ上位2%に入る人たちの国際的社交クラブ)...

茂木健一郎『脳内現象 はいかに創られるか』

永井均の<この私>の謎に脳科学の側から迫ろうとした本。 科学的には脳内の1000億の神経細胞の活動から意識がうまれることに間違いない。脳内を見渡す「小さな神の視点」、「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」、「メタ認知」という興味深い概念を最新の脳科学の知見をまじえて紹介したあと、本...

村上春樹『東京奇譚集』

それまでの人生で偶発的に負ってしまった瑕や歪を克服してより本来的な自分自身に回帰するというのは、村上春樹のみならず現代文学でよくとりあげられるテーマのひとつだ。村上春樹には特にそういうテーマの作品が多い印象があって、ひょっとしたら多かれ少なかれすべての作品にそういう要素が埋め込ま...

リチャード・ブローティガン(藤本和子訳)『アメリカの鱒釣り』

あめりか-の-ますづり【アメリカの鱒釣り】 (Trout Fishing in America) ①おそらく架空の小説のタイトル。表紙はサン・フランシスコのワシントン広場に立つベンジャミン・フランクリン像の写真であり、「マヨネーズ」という言葉とともに終わる。 ②アメリカで鱒を釣る行為、またはそれにまつわるすべてのことを表す抽象名...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『宇宙の果てのレストラン』

底抜けにブラックでシニカルなスペースオペラの2作目。1作目の『銀河ヒッチハイク・ガイド』と物語は完全に継続していて、続編というより前後編の後編、いや全部で5作らしいので(5作からなる三部作とよばれている)ようやくストーリーが佳境に入ってきたという感じだ。 実際、前作は「軽く腹ごしら...

ダグラス・アダムス(安原和見訳)『銀河ヒッチハイク・ガイド』

銀河バイパス建設のために地球が破壊されてたった一人生き残ったときに是非とも必要になる本。それが『銀河ヒッチハイク・ガイド』だ。表紙には大きな読みやすい文字でそういうときにうってつけの言葉―「パニクるな」と書かれている。 20年以上前に読んでなんていかした小説なんだと思ってから長らく...

稲葉振一郎『「資本」論―取引する身体/取引される身体』

リベラリズムとは、他者への寛容を旨として、市場経済のもとで所得の再分配を広く認める考え方だ。個人的にはほかに社会がうまくいくあり方はないだろうと思うのだが、一方には新保守主義(≒ネオリベラリズム)とよばれる市場原理主義的な考え方があり、他方には市場経済に代わるしくみを模索する共産...

グレイス・ペイリー(村上春樹訳)『最後の瞬間のすごく大きな変化』

作者についてはまったく知らなかったが、表紙のエドワード・ホッパーの絵と村上春樹訳ということで読もうと思った。 17編からなる短編集。訳者の後書きから引用すると作者は「フェミニストにして社会運動家、ユダヤ系伝統文化に強く傾倒する、政治意識の強い女性作家」だそうで、作者自身をモデルにし...