読書ノート

チャールズ・ディケンズ(加賀山卓朗訳)『二都物語』

「あれは最良の時代であり、最悪の時代だった。叡智の時代にして、大愚の時代だった。新たな信頼の時代であり、不信の時代でもあった。光の季節であり、闇の季節だった。希望の春であり、絶望の冬だった。」という有名な一節で幕をあける物語。舞台はフランス革命の時代の二つの都市ロンドンとパリだ。...

グレッグ・イーガン(山岸真訳)『ゼンデギ』

読み始めて全然SFじゃないのであれっと思う。第1部はほぼ現代といっていいような数年先の(といっても設定は2012年なのでもう過ぎてしまったが)のイラン市民革命を舞台に、現地で取材するオーストラリア人マーティンと、アメリカに亡命して遠くからそれを見守る若いイラン人女性研究者ナシムが...

保坂和志『カフカ式練習帳』

数えてないけど300編前後の「断片」から構成された本。それぞれの断片は数行から長くても数ページ、内容は、夢、過去の記憶、思いつき、幻想小説の一部、パロディ、引用など多岐にわたり、一見ランダムに配置されている。あとがきによると、カフカがノートに書き遺した断片がおもしろくて、自分もそ...

村上春樹編訳『バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2』

数十年単位の地層の中から発掘した。今は文庫版は絶版で村上春樹翻訳ライブラリーの中の一冊になっている。 フィッツジェラルドの短編五編と村上春樹によるフィッツジェラルドをめぐるエッセイが収録されている。短編は以下の通り(数字は発表年度)。 『ジェリービーン』(1920) - 社会的金銭的成功...

金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』

借り物。著者は複雑系の研究者だ。読み始める前は、カオス理論や複雑系の一般向けの啓蒙書だと思い込んでいて、貸してくれた人の意図もわからず、長らく放置状態になっていた。読むにしろ読まないにしろ返せる機会にいったん返しておいた方がいいんじゃないかと思いたち、それなら読んだ方がいいだろう...

F・ブラウン、S・ジャクソン他(中村融編)『街角の書店 18の奇妙な物語』

英語圏のまったく無名の作家からノーベル賞作家まで幅広く、いわゆる「奇妙な味」の作品ばかり18編を集めたアンソロジー。「奇妙な味」と自称する本は数多く出されてきたが、本書の味付けは格別だ。 まず、”bad taste”(悪趣味) と言ったほうがいいような独自の味わ...

モラヴィア(関口英子訳)『薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短編集』

モラヴィアというとチェコの地方の名前なので東欧の作家かと思ったがイタリアの作家だった。 書誌的な情報をざっと紹介しておこう。フルネームはアルベルト・モラヴィア。1907年に生まれて1990年に亡くなってる。けっこう多作で長編小説を20編以上書いていて日本でも多数の翻訳が出版されたが...

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『忘れられた巨人』

ジャンルの垣根を飛び越えた多様な作品を発表し続けるカズオ・イシグロ。今回の作品はトールキンばりのファンタジーだった。騎士や龍、鬼、妖精なんかが出てくる。舞台は中世のイギリスだ。伝説の王アーサー王が亡くなった直後の時代。その頃のイギリスはケルト系のブリトン人とゲルマン系のサクソン人...

スタニスワフ・レム(沼野充義訳)『ソラリス』

従来の訳はソ連時代のロシア語訳からの重訳だったので、検閲や自粛により省略された箇所が多々あったようだが、こちらはオリジナルのポーランド語版からの翻訳で完全版だ。 映画はタルコフスキー版、ソダーバーグ版両方みていたが、 原作小説を読むのははじめて。読み終えてみて、三者三様という感じだっ...

ダーグ・ソールスター(村上春樹訳)『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』

ソールスターは現代ノルウェイの作家。本邦初訳だ。タイトルは著者の11番目の長編小説にして18番目の本というそのままの意味。 翻訳者としての村上春樹はチャンドラーなど有名どころを訳すのと並行して、こういう日本でほとんど知られてない作家や作品を紹介している。マーセル・セロー『極北』もそ...

ディケンズ(石塚裕子訳)『大いなる遺産』

はるか昔ぼくが少年だった時分に読んでいるから再読なのだが、覚えていることといったらある貧しい少年がひょんなことから莫大な遺産の相続人に指名されるんだけど、結局おじゃんになってしまう、という骨格とすらいえないシュールなトレイラー映像の如きものだ。さすがにこれで「読んだ」扱いするのは...

アンナ・カヴァン(山田和子訳)『氷』

急激な氷河期の到来で人類をはじめとする生命が滅亡に瀕するというまさにSF的なシチュエーション。とある国の諜報活動に携わっている男が語り手。彼はアルビノで銀色の髪の少女(といっても20歳過ぎで人妻だが)を偏愛している。ひとり旅だった少女を男は追いかけて小さな国にたどり着く。その国は...

エミリー・ブロンテ(鴻巣友季子訳)『嵐が丘』

古典らしくない古典だった。なんというかふつう古典には普遍的で背筋に響く力強さがあるのだが、この作品はとらえどころがなくて単純な理解をすりぬけてしまうのだ。ストーリーにも描写にも難解なところはどこもない。 気まぐれに鶫が辻という場所の人里離れた田舎屋敷を借りたロックウッドという男が、...

円城塔『道化師の蝶』

芥川賞受賞の表題作と『松の枝の記』の2編が収録されている。 『道化師の蝶』は、奇妙な文様の蝶、それをとらえるための特殊な網、ほとんどの時間を飛行機の中で過ごし乗客の着想をとらえてビジネスの種にしている実業家、友幸友幸という数十もの多言語で作品を書き続ける正体不明の小説家、友幸友幸を...

神林長平『ぼくらは都市を愛していた』

ジャケ買いならぬタイトル買い。「ぼくらは都市を愛していた」と言われれば me too と返すしかない。 2つの世界の2人の人物の視点が交互に語られる。 ひとつは、情報震という謎の現象でデジタルデータが破壊されインフラが壊滅的に鳴り、疑心暗鬼で戦争がおこり、人口が激減したあとの世界。情報軍という情...

ガブリエル・ガルシア=マルケス(鼓直訳)『族長の秋』

ある独裁者の長い後半生を描いた作品。彼はこの作品中で名前をもたず「大統領」とのみ呼ばれる。荒れ果てた大統領府で彼の死体をみつける部分からはじまる。その時点で大統領の年齢はまちがいなく100歳は越しており、200歳も越えているかもしれなかった。そこからいったん時代を大きく遡り時代を...

『厭な物語』、『もっと厭な物語』

バッドエンディングの読んでいやな気持ちになる短編小説ばかりを集めたアンソロジー。最初の『厭な物語』がけっこう人気だったようで、なんと続編の『もっと——』が出ていた。二冊まとめて読んでみた。 『厭な——』の方は海外作品のみだが、『もっと——』には日本の作品三編が含まれている。一応収録...

フィリップ・K・ディック(山形浩生訳)『ヴァリス』

序盤は、ホースラヴァー・ファットという小説家が友人女性の自殺をきっかけに精神の平衡を失い奇妙な幻覚や妄想にとらわれ、自殺を試みたり独自の神秘思想を生み出すまでになっていく様を、ファット自らが「必要不可欠な客観性を得るべく三人称で書いている」という体で描かれている。壺から出てきたピ...

佐々木敦『ニッポンの音楽』

簡単に要約するならば、ニッポンの音楽(=Jポップ)を、「内」(すでに日本国内でポピュラリティーを獲得した音楽)と「外」(外国や最先端の未知の音楽)の間の、内が外の影響を受けて変化していく弁証法的な運動としてとらえる史観を提示しつつ、その運動は、内と外の質的な差異が消滅してしまった...

レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)『高い窓』

村上春樹訳のチャンドラーも5冊目。マーロウは裕福な未亡人マードック夫人の依頼で持ち去られた貴重なコインのゆくえをさがす。マーロウはマードック夫人の秘書的な役割をしているマールという若い女性の危うげな不安定さに目をとめる。人が立て続けに2人死に、マーロウの元に失くなったコインが送ら...