サイケ屋

幼少のみぎり、近くにサイケ屋という駄菓子屋があった。

内装が1960年代サイケデリックというわけでも、食べると極彩色の幻覚が見られる菓子が売っているわけでもなく、初老の姉妹が経営するいたって地味な駄菓子屋だった。おそらくは、ほんとうの屋号はサイキ屋かサエキ屋なのだと思う。

同じ並びに少し離れて、さらに二軒の駄菓子屋があって、それぞれ古サイケ屋、新サイケ屋と呼び習わされていた。共にサイケ屋とは何の関係もないのだが、屋号が目につくところに書かれていないこともあり、「サイケ屋」が普通名詞化してそう呼ばれるようになったのだろう。

古サイケ屋のおばさんは、その名の通り、かなり年をとっていたが、新サイケ屋のおばさんが特に若いということはなかったことははっきりと記憶している。新サイケ屋ではもんじゃ焼きが食べられたので、そこに新鮮味があったのかもしれない。

古サイケ屋と新サイケ屋のおばさんたちはその呼び名に対してどんな思いを抱いていたのだろう。

なんていうことを唐突に思い出してしまったが、あの頃に戻りたいなんてことはまったく思わない。子供のころは(今よりさらに)自分の身や心を自分でどうすることもできなかった。駄菓子屋にいくことは数少ない自由の一つだったのだ。