『演劇2』

想田和弘監督による劇団青年団、こまばアゴラ劇場を主宰する平田オリザをとらえたドキュメンタリー映画二部作の一つ。『演劇1』に続いて今日も雨の中みてきた。3時間弱という長尺だが、不思議にあっという間だった。

『演劇1』では平田オリザさんの演劇活動に重点がおかれていたが、こちら『演劇2』ではその周辺の社会との関わりにスポットライトがあてられている。中学校での授業、政治家との会合、地方や海外への巡業。記者らしき若い女性の、ほかの芸術とくらべてなぜ演劇はコミュニケーション能力向上に役立つとか社会に対する有用性を声高に訴えているのかという質問に対して、答えていたように、それもこれも劇団と劇場を守るためのこと。具体的には国などからの助成金を得るため。演劇という文化はそうしていかないと維持できないものなのだ。

メンタルヘルス関連の会合に出席して、身体の健康を守るためには健康保険があるのだから、心の健康のために芸術に触れることを助成する保険的な制度があってもいい、たとえば3割負担として7000円の演劇を2000円でみられるようになる、欧米ではそういう制度をとっているところが多いというような話をしていて、(現状の、芸術に目をむけるゆとりのなさ、公共の支出をとことん削減しようという方向性からみて、当面実現困難だろうが)、手をかえ品を変えさまざまな場所で、演劇を続けるためにがんばっている。

ロボット演劇、アンドロイド演劇もそういう観点でみるとちょっとちがってくる。奇をてらうとか、人間の役者より思い通りに動かせるとかいうことより、これもまたお金を集めて演劇を続けるための道具なのだ。

そんな劇団、劇場、演劇に対する愛に溢れたオリザさんだが、映画の中ではいつもひとりだけで移動し、生活していた。この映画でワンシーンだけ奥さんのひらたよーこさんが登場するのだが、疲れたような諦めたような表情でオリザさんのことをみていた。最近青年団の作品にもまったく登場しないし、この前の『アンドロイド版三人姉妹』のリーフレットに書かれた「さびしい人生」という言葉から薄々察してはいたが、今 Wikipedia をのぞいたら離婚したと書かれていた。オリザさんの全生活を演劇に注ぎ込む姿勢がすれ違いを生んだのかもしれない。映画の中でははっきり語られていないけど、このシーンはこの映画全体を象徴するとても重いシーンだ。

さて、平田オリザさんにとって、この映画(『演劇1』も含めて)もまた道具のひとつなのだと思う。劇団、劇場、演劇を守っていくための道具。この映画をみると青年団の芝居がみたくなるし、平田オリザさんの本を手に取りたくなる。そういう意味で、とてもよくできたすばらしい道具だった。