二人のアンティゴネ

このところアンティゴネという女性の名前をよく耳にする。アイドルか何かかと思ったら、そうではなく、古代ギリシアの有名な悲劇のタイトルであり、そのヒロインの名前でもあるらしい。

興味をもち、ストーリーをネットで調べていたら、台本が二種類存在することがわかった。ひとつはソフォクレス作のオリジナルで、もうひとつは二十世紀前半に活躍したドイツの劇作家ブレヒトが改作したものだ。基本的な筋立ては共通しているので、まずはそれを紹介しておこう。

テーバイとアルゴスという国が戦争を起こしている。舞台はその一方の国テーバイ。王クレオンの姪にあたるアンティゴネは、戦争のため兄二人をほぼ同時に失う。そのうち一人のエテオクレスは手厚く葬られるが、もう一人のポリュネイケスは王の命に背いた廉で埋葬を禁じられ、野ざらしにされる。それを不服としたアンティゴネはひとりで兄の遺体を埋葬しようとするが、番兵にみつかり王の前にひきだされる。アンティゴネは反省するそぶりをみせず自分の意志を貫いたため、岩穴に幽閉されることになる。しばらくのち王はその決定を翻し、アンティゴネを解放しようとかけつけるが、時すでに遅く、アンティゴネは岩穴の中で自害していた。一足先にかけつけていた、王の息子であり、アンティゴネの許嫁でもあったハイモンは、王の剣を奪い自分に突き刺して死ぬ。テーバイの敗北を暗示して幕が閉じる。

この筋立ては変わらないのだが、原作とブレヒトの改作には物語の根幹に関わる大きなちがいがある。

戦争の原因:【原作】テーバイ王だったエテオクレスの王位を奪うため、弟のポリュネイケスが隣国のアルゴスの軍勢を借りて攻め込んできたため。【ブレヒト版】クレオンがアルゴスの鉱を奪おうとしたための侵略戦争。

ポリュネイケスの死:【原作】侵略してきたポリュネイケスは王のエテオクレスと相討ちになってしまう。【ブレヒト版】良心的徴兵拒否で逃げる途中クレオンの軍勢に殺される。

アルゴスの逆襲:【ブレヒト版】原作にはないが、今まで優勢だったテーバイがアルゴスに急襲され壊滅状態になったという知らせが飛び込んでくる。それでクレオンはようやくアンティゴネを許す気になる。

原作では、ポリュネイケスは反逆者であり王の命令にはそれなりの正当性がある。それを弔うというのは、第一に家族という共同体の倫理だが、エテオクレスとポリュネイケスが争って殺し合ったことにより、この共同体は破綻に瀕しているため、むしろの神の掟としてみた方がいいように思われる。世俗の法と神の掟の対立だ。アンティゴネはそのうち神の掟を選んで死んでゆき、その選択が正しいことを証明するように世俗である国は滅ぶという形になっている。

しかし、ブレヒト版では、クレオンを悪者として描くことにより、あらかじめ俗の権威をおとしめてしまっているので、アンティゴネがあえて神の掟を選んだことの意味が失われている。つまり、世俗の法は大きな負のハンディキャップを押しつけられているので、アンティゴネが神の掟を選んだのは何の葛藤もないきわめて自然なことに思えてしまう。そしてその選択は、悪辣な国家には服従しないという近代的市民としての選択のようにもとらえられる。こうすると確かにわかりやすくはあるのだが、単純な勧善懲悪劇に堕しているといえなくはない。

とはいえ、原作では、アンティゴネに葛藤があるようには全くみえない。迷うことなく直感的に神の掟を選び取っている。ギリシア時代ならいざしらず、それが、ブレヒトの活躍した二十世紀、そして現代においてどういうリアリティがあるのかという疑問もわいてくることは確かだ。その文脈でブレヒトの改作があったのだろうと思う。書き加えられたアルゴスの逆襲のエピソードがアンティゴネの死の前にくるのは、いずれにせよ死は定められていたということを示している。原作のアンティゴネは世俗の生より神のもとでの死を望んだが、それをブレヒトは世俗による死より神のもとでの死を望むという形にした。二十世紀は世俗の権威のためにたくさんの人間が死んだ世紀だった。ブレヒトが描きたかったのはギリシアの悲劇ではなく現代の悲劇だったのだ。

さて、そういうわけでかなり毛色のちがう二つの『アンティゴネ』があるわけだが、そのヒロインであるアンティゴネ自身は似通っている。ブレヒトはアンティゴネには手を加えなかったようで、同じように頑なに神を選び続ける。アンティゴネはこの二つの物語の不動点なのだ。