遊園地再生事業団+こまばアゴラ劇場『子どもたちは未来のように笑う』

子どもたちは未来のように笑う

ちょっと考えると奇妙なタイトルだ。「未来のように笑う」。でも未来は笑わないし、そもそも未来が笑うというのはどういうことなのかわからない。この作品の中で子供たちは未来そのもの、つまりいい面も悪い面も不確定で未知なものとして扱われている。ある意味「無」そのものだ。無だからこそ、論理学の基礎的な帰結として「未来のように〜」の〜の部分にはどんな動詞でも当てはまる。その中から「笑う」が選ばれているのはおそらくこの舞台がとても笑えるからだ。往年の宮沢章夫作のシティボーイズのコントを思い出した(ぼくはほとんどヴィデオでみたが)。

ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』以降の遊園地再生事業団はテキストやインタビューの朗読をとりいれた演出で過去や現代の日本社会をセミドキュメンタリーみたいに浮かび上がらせている。今回も子どもを作ることがテーマだ。その骨子のエピソードとして障害児だと97%確定している子どもを産む選択をした母親が登場する。どんな子どもが生まれるのかはまさに未来のように未確定だったのに、現代でほぼその前に分かってしまうのだ。これは答えの出せない難しい問題だ。ぼくがいえるのは、彼女の姉のように無条件に授かったものだから産むべきだというのも間違いだし、もちろん社会(や自分の)の迷惑だかか産むべき出ない、という考えのどちらであってもそれが正義になってしまうのは間違いということだ。この作品では、後者の考えを実際に登場人物が口にする。このところの遊園地再生事業団作品はよくも悪くも微温的だったが、単なる戯画化されたキャラクターではなく、背景の書き込まれた自分がこのセリフを口にするのは衝撃的だった。

この母親を演じた藤松祥子さんがとても素晴らしい。この前みた『ニッポン・サポート・センター』でも端役ながら非凡な印象を感じていたが、今回はそれが全開という感じだった。今後が楽しみだ。

作・演出:宮沢章夫/こまばアゴラ劇場/自由席4000円/2016-09-10 19:00/★★★

出演:松田弘子、上村聡、大場みなみ、黒木絵美花、長野海、鄭亜美、藤松祥子、小寺悠介、大村わたる