『農業少女』

『農業少女』

作:野田秀樹、演出:松尾スズキ/東京芸術劇場小劇場1/指定席6500円/2010-03-20 19:00/★★★★

出演:多部未華子、山崎一、江本純子、吹越満

毒草学者の山本は偶然地方の列車の中で出会った15歳の少女百子に心奪われ、東京までの旅費を渡し、結局一緒に暮らすことになる。山本のフルネームが山本ヤマモートなのは、ナボコフの『ロリータ』の語り手ハンバート・ハンバートを彷彿とさせるし、物語全体の骨格は『ロリータ』が下敷きだ。

『ロリータ』では語り手の一方的で実らない想いの哀しさばかりにスポットライトがあてられ少女はほとんど人形のように描かれるが、この作品の百子は、ボランティアや市民運動に参加する主体的な女性だ。ただその主体性の先には運動のリーダーである都罪という男の存在があった。百子は彼を崇拝していたのだ。やがて百子は「農業少女」という食べると便の臭いがしなくなる米を発案する。彼女は自分の出自である「農業」を都市のライフスタイルと融合させることを夢見たのだ。それが受けて、都罪は話題を集めることに成功し、政界にうってでることにする。そして彼は「農業少女」のアイディアごと百子を見捨てる。彼はただ彼女を利用していただけで、自分の野心のみに忠実な男だった……。

松尾スズキの演出が見事だった。野田秀樹的なリズミカルさを残しつつ、とことん羽目をはずす。特にラストシーンの、まるですべてが山本の妄想だったかのように少女が消えていくところがすばらしすぎる。あと、もちろん、多部未華子がよかった。かわいい。声がいい。

(追記)この作品にはもう一つ、全体主義批判というメッセージがあるんだけど、一見それはサッカーに熱狂する群衆を揶揄したり、大衆煽動に長けた都罪という男とヒトラーを重ね合わせるだけで、表面的な批判に終わっているように思える。でも、実は食の生産手段つまり農業は原理主義的なこだわりを誘発するものだし、人間のにおいも最も差別感情を喚起しやすいものだ。全体主義批判というテーマは付け焼き刃なものではなく、この作品の根底に関わるものなのだ。農業少女は、全体主義に安易に巻き込まれてしまう個々の人々を象徴すると同時に、そこから逃れ出る可能性のようなものを示しているのかもしれない。

未見なのでよくわからないけど、少なくと野田秀樹自身演出の初演ではそうだったんじゃないかな。でも、今回そういうのを背景においやった松尾スズキの演出の意図もよくわかるし、成功していたと思う。