『ガラスの動物園』

作:テネシー・ウイリアムズ(翻訳:徐嘉世子)、演出:長塚圭史/シアターコクーン/A席7000円/2012-03-31 18:30/★★★★

出演:立石凉子、深津絵里、瑛太、鈴木浩介

「これは追憶の劇です」

という冒頭の言葉でいきなり心をむんずとつかまれた。

登場人物は4人しかいないし、ストーリー的には地味な家庭劇なんだけど、全編にちりばめられた詩的な言葉と象徴がものすごい。ブルーローズ。それに角のとれたユニコーン。

それぞれの非現実的な幻想の中に生きているウイングフィールド家の3人。母アマンダは失踪した夫や若い頃の思いでの中に生きそのときの輝きがまだ続いていると思い込んでいる。姉ローラは不自由な足を気にして深刻な劣等感に悩み、動物のガラス細工のコレクションと古い蓄音機で演奏するレコードだけを楽しみにしている。弟トムは靴屋の倉庫に勤務しながら靴箱の裏に詩を書き、父親同様この家から逃げ出すことを夢見ている。彼らのもとに「現実世界からの使者」として、トムの同僚で、ローラの高校時代の片思いの相手ジムがやってくる。ジムは根本的に善良な人間で、彼女に理解を示し、示唆を与え、おそらくは魅力すら感じるのだけど、結局は彼らのもとから去っていく。たぶん、ベティーなんてどこにもおらず、それは現実世界から彼らの幻想に対する慇懃な拒絶だったのではないだろうか。

舞台となった1930年代大恐慌時代のアメリカと、デフレにあえぐ現代日本はどこか重なるものがある。そういうところも含めて、直接的に心に響く芝居だった。幻想の象徴として保護色の衣をまとったダンサーたちを使った長塚圭史の演出も成功していた。