ジェーン・オースティン『高慢と偏見』

高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)高慢と偏見〈下〉 (岩波文庫)

『高慢と偏見とゾンビ』というパロディーのマッシュアップ作品が刊行されたらしい。「これください」「ゾンビ入りにしますか、ゾンビ抜きにしますか?」「えーと」「最初ゾンビ抜きを試してからの方が、よりゾンビの味が楽しめると思いますよ」「じゃ、抜きで」

ということで、読み始めたのだが、そうでもなければ、幾多の読書経験をほこるこの俺様が(高慢)、いまさらこんなハーレクインに毛がはえたような(偏見)小説読んでもしょうがないだろうと、文字通りの高慢と偏見を発揮して、手に取ることはなかっただろう。ところが読み始めたら一気に夢中になってしまった。実は、せっかくなので英語で読もうと原書を手に取ったのだが、物語がおもしろくなるにつれ、婉曲な表現をひとつひとつたどっていくのが、だんだんもどかしくなってきて、10章で断念して、ブックオフで和訳を手に入れたのだ。

田舎の地主一家の五人姉妹の次女エリザベスと、資産家で名家の若主人ダーシーの最初の出会いから、互いの偏見と高慢を乗り越えて、結婚するまでを描いた作品。なんていうことのないストーリーなのだが、この二人の恋の行方に目が離せなくなって、熱中して一気に読んでしまった。人物描写の力だろうか。

物語もさることながら、当時のイギリス中上流階級の社会的状況をうかがい知ることができて興味深かった。女子は相続からはずされることも多く、少しでも資産のある夫をみつけることが幸福の条件だった。ある程度の階級以上の男子もまた、商業がいやしいものとされていたため、それ以外の手段で収入を得ることが求められ、それがない場合は財産をもつ娘との結婚が最後のチャンスにもなったりしたようだ。結婚は、今よりもずっと一生を左右する重大な問題だったのだ。女子は、楽器、歌、ダンス等社交の場で少しでも目立つための努力を惜しまなかった。家柄も重視され、家族の中に非常識なものがいたり、本書の中であったように兄弟姉妹が駆け落ちしたりするのも、結婚の障害になる。まあ、現代でもそういうのはまだ残っているけど。

エリザベスがダーシーの気持ちをとらえたのは、その美貌もあるかもしれないけど、彼女のどんなものにも物怖じすることのない機知だったような気がする。その機知は上に書いたような結婚をめぐる社会状況なんかにも負けてない。キャサリン夫人にやりこめるシーンはほんとうに痛快だった。それでも、彼女がこの社会で幸福にはなるには結婚が必要で、その価値観から外に出ることはできないというか、外に出たら、単なる空想になってしまう。そのことを彼女自身も重々認識していた。ダーシーという彼女の機知を受けとめ、彼女が尊敬できるような人物が必要だったのだ。

このエリザベスは、まず間違いなくジェーン・オースティン自身を投影していると思うんだけど、彼女自身は一生結婚しなかった。彼女にはダーシーはあらわれなかったんだなと思うと、ちょっとさみしい。

色々書いたが、こういう面白い作品に出会うことができたのも、ゾンビのおかげだ。ありがとう、ゾンビ。