古川日出男『ハル、ハル、ハル』

ハル、ハル、ハル (河出文庫)

長編小説かと思ったら中編小説が3つ。3編に共通するのは、房総半島が物語の舞台として登場すること、そして主人公が少なくとも客観的には「犯罪」といわれることをおかしてしまうこと。それも、単なる世間道徳や法というレベルを超えて、かなり普遍的にいやな気持ちになるような罪だ。そこには意味も救いも感じられない。

それでも唯一爽快感が感じられるのは表題作の『ハル、ハル、ハル』。「この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ」という大いに期待をもたせる一節から物語ははじまり、無邪気な殺人があり、三人の主人公たちが出会って、目的地に向かって旅立つ。ロード・ノベルなので必然的に目的地に到着する。あっけなくたどりつく。すると自動的に爽快感は得られてしまう。ただその爽快感は罪を上書きしない。罪はそのままの形でそこにあるのに、物語はそれをまるっきり無視して軽快に語り続ける。最後の「三人の物語はたった一つの現実に変わる」という一文は物語が隠蔽し続けてきた罪が、物語の終わりとともに明るみに出されることを意味しているような気がする。とことん残酷だ。

この三編の物語では結果として罪という形になってしまう無邪気な残酷さは肯定はされずただそこにあるものとしてつきはなして描かれる。それは、このあとに書かれた長大な『聖家族』で、血統、地縁という枠組みにより、もっと積極的なポジションを与えられたような気がする。そういう意味で『聖家族』は『ハル、ハル、ハル』の続編のひとつなのだ。だから『聖家族』にぴんとこなかったぼくが、『ハル、ハル、ハル』に違和感を感じるのも、当然かもしれない。