柄谷行人『探求 II』

探究〈2〉

『探求 I』で他者との関係における命懸けの飛躍を見抜いた柄谷は、今度は「この私」に挑む。

共同体は個人から構成されているのだけど、その個人というのは共同体の中の差異化によってはじめて個としての意識をもつのではないかと昔からいわれていて、その個としての意識そのものも内から外を排除する共同体的なものにすぎない。そんな個-共同体の相互依存とは別の、単独性というものがあるはずだと考えて、柄谷はそれをデカルトが「我思うゆえに我あり」で見出したあらゆる自明性を疑う自己に求めている。そして、普遍的なのは、内部と外部にわけることのできない無限の「間」における、単独的な自己同士の「交通」であるという。

この「間」として比喩的に挙げられるのは、「海」、「砂漠」、それに「都市」だ。都市は共同体の内部にあるようにみえるけど、本質的には外部、つまり「共同体」と「共同体」の間にあるのだ。

そこでは、共同体内部で人を動かす農夫の知恵ではなく、他者としての自然や人を相手にする船乗りの知恵と商人の知恵が必要とされる。

海と砂漠と都市をまたにかける船乗りと商人。なんだかかっこいい。

★★★★