阿佐ヶ谷スパイダース『少女とガソリン』

阿佐ヶ谷スパイダース『少女とガソリン』

作・演出:長塚圭史/ザ・スズナリ/自由席5000円/2007-06-10 19:00/★★

出演:中村まこと、松村武、池田鉄洋、中山祐一朗、伊達暁、長塚圭史、富岡晃一郎、大林勝、下宮里穂子、犬山イヌコ

まず、断っておかなくてはいけないのは、体育座りで身じろぎもできない環境だったため、終盤は腰の痛みで芝居どころじゃなく、内容を把握するだけで精一杯だったということだ。以下に書くのは、もしちゃんと椅子に座って見ていたらこう感じただろうという反実仮想的なもので、できるだけそのつもりになろうとはしているが、あの痛みのリアリティが感想に入り込むのを防ぎきれてはないと思う。

濁った水が流れ独特の臭気が漂うクシダという街。住民たちは露骨な差別の視線にさらされていたが、彼らは逆にそれを自らのアイデンティティとしてたくましく生きてきた。ところがそこに再開発の波が押し寄せ、彼らのアイデンティティの象徴だった「真実(まこと)」(濁った水を使ったただ酔っぱらうためだけの安酒)を造っていた酒蔵も廃業に追い込まれる。酒蔵の再興を期し、再開発に対抗するため細々と運動を続ける人々。彼らの心の支えはリポリンというアイドル歌手の少女だ。彼らは彼女の歌に、自由と平等という理念を勝手に見いだしていたのだ。そのリポリンがクシダにやってくる。こともあろうに再開発のオープニング記念イベントに参加するために。彼らはリポリンの奪還(つまり誘拐)を企てる。だが、リポリンたちの一行は自らの意志で彼らの元を訪れる。リポリンのマネージャーは18年前に彼らの前から姿を消した、かつて妻であり、姉であった女性だったのだ……。

コミカルでハプニング的なわくわく感に満ちた導入部を過ぎると、あとはありきたりで予定された悲劇・惨劇に向けて突き進んでいくだけだった。といっても、まっすぐな道のりではなく寄り道や停止が多かったが、それがまた腰に響いた。

リポリンという存在は、負のアイデンティティを守るのか、逃れるのか、という二つの生き方を越えた新しい生き方を象徴する存在だと思うが、舞台はよくも悪くもウェットな感情にドライブされていて、そのことがなかなか前面にでてこなかった。なんて思ってしまうのも腰のせいかもしれないけど。