読書ノート

荻上チキ『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』

Net News全盛の昔から、「炎上」というものには目がなかった。あっちのニュースグループが燃え上がっていれば行ってにやにや笑い、こっちでぼやがあがっていればおもしろいからもっとやれと心の中であおっていた。その当時は、「炎上」といっても穏やかなもので、燃え立たせているのは多くても数人で...

アルフレッド・ベスター(渡辺佐智江訳)『ゴーレム100』

アルフレッド・ベスターの名前すら知らなかったSFファンとしてはだめだめなぼくがいうのもなんだが、SFというジャンルの本質はまだみたことのないものをみせてくれるところにあると思う。ところが本書は、そう思っていたぼくですら度肝(って何だ?)を抜かれるほど斬新だった。 さまざまな引用、言...

ヘンリー・ジェームス(蕗沢忠枝訳)『ねじの回転』

ゴーストストーリー、怪談といえばその通りなんだけど、かなり毛色がちがう。 幼い兄妹と召使いが暮らす古い館に家庭教師として住み込むことになった女性から見た一人称で物語は語られる。亡霊たちは主人公にしか見えない(子供たちにも見えるようなのだけど、最後までよくわからない)。それで、途中か...

円城塔『Self-Reference ENGINE』

その瞬間、宇宙は無数の宇宙に分裂し、時間や因果律が錯綜して頭の中の弾丸が銃の中に戻ろうとしたり、家の中に別の家が生えてきたりするようになった。その出来事は「イベント」と呼ばれている。それぞれの宇宙の出来事は巨大知性体という何台ものコンピュータの演算によって起きるようになっている。...

亀山郁夫『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』

『カラマーゾフの兄弟』を読んで一番驚いたのは、この分厚い大作が未完で作者のドストエフスキー急死により「第二の小説」が書かれずに終わったということだ。確かに回収されていない伏線があったり、本編と関係ないのにやたらページをとって語られている登場人物がいたりするし、何より作者による序文...

ドストエフスキー(安岡治子訳)『地下室の手記』

なにごとにもきっかけが必要で、『カラマーゾフの兄弟』は光文社古典新訳文庫版が出始めたのをきっかけに読もうと思ったのだが、なかなか完結しなくて待ちきれず、結局新潮文庫版を読んだのだった。京の仇を江戸で討つではないが、『地下室の手記』は光文社古典新訳文庫版を選んだ。はるか昔に読んだよ...

米澤穂信『さよなら妖精』

タイトルから漠然と、超自然的なフェアリーストーリーとミステリーが融合するシュールな作品を想像していたが、ウェルメイドな青春群像ミステリーだった。 地方都市に住む高校三年生四人はユーゴスラビアからやってきた同年代の少女マーヤと知り合う。何にでも好奇心いっぱいのマーヤにひきこまれて、彼...

ポール・オースター(柴田元幸訳)『ガラスの街』

「あてもなくさまようことによって、すべての場所は等価になり、自分がどこにいるかはもはや問題でなくなった。散歩がうまく行ったときには、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった――どこにもいないこと。ニューヨークは彼が自分の周...

阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』

鼠退治の報酬を払わなかったばっかりに笛吹き男の笛の音に導かれて子供たちが連れ去られてしまったという『ハーメルンの笛吹き男』の物語は単なるおとぎ話ではなくある程度実話らしい。事件が起きたのは1284年6月26日、いなくなった子供の数は130人だという。ただし、鼠退治の話は後世の付け...

村上春樹『1973年のピンボール』

二度目か、ひょっとしたら三度目に読むのかもしれないが、ぼくの頭の中に残っていたのは双子の存在とゴルフ場の風景だけだった。1973年秋、東京、そしてそこから遠く離れた海辺の街で、平穏でありながらずっと心に残りそうな日々が何気なく通り過ぎてゆく。大きな出来事がおきないだけに、かえって...

コニー・ウィリス(大森望、他訳)『わが愛しき娘たちよ』

アメリカの女性SF作家コニー・ウィリスの12編からなる短編集。 冒頭の『見張り』には長編『ドゥームズデイ・ブック』のキヴリンやダンワージィ先生が登場している。『ドゥームズデイ・ブック』は大学の実習でペスト禍のまっただなかの中世にタイムスリップする話だったが、こちらは第二次大戦のロン...

池谷裕二『進化しすぎた脳 中高生と語る[大脳生理学]の最前線』

大脳生理学の最新のトピックを中高生向けに講義したものをまとめた本。文中にでてくる彼らの応答から察するに、中高生といってもぼくを含めたその辺の大人よりよっぽど優秀だった(慶應義塾ニューヨーク学院高等部の生徒たちとのこと)。専門的になりすぎず、かといって細部を省略しすぎず、聞き手の興...

レイモンド・チャンドラー&ロバート・B・パーカー(菊池光訳)『プードル・スプリングス物語』

ハードボイルドの旗手レイモンド・チャンドラーが急死したため未完のまま遺された作品を、30年後に同じハードボイルドのスペンサーシリーズで有名なロバート・B・パーカーが完成させた。未完といっても、チャンドラーが遺したのは全41章中の4章だけで、書かれているエピソードはおおむね以下の3...

永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題への誘い』

中学生の翔太がインサイトという猫に導かれるように、さまざまな哲学的問題について考えてゆく。たとえば、「実はぼくらは培養器の中の脳で、現実はそこで見せられている夢」という考えには意味があるかどうかとか、「他人に心があるか」とか、「ぼく」という存在の特別さとか、善悪の基準の妥当性とか...

舞城王太郎『スクールアタック・シンドローム』

そろそろ現代日本の小説も飽きてきたなと思いつつ手に取った本書だけど、やっぱり舞城王太郎はおもしろい。 珍しく残虐描写のない『我が家のトトロ』のほかは、耳をかみ切って飲み込んだり、高校で生徒や教師が623人殺されたり、女子中学生が女子中学生の首の骨を一撃で折って殺したり、生き返ったり...

阿部和重『グランド・フィナーレ』

ナボコフの『ロリータ』は、道徳を越えたある美学の果てにある、人生におけるある種の哀しみについて教えてくれたけど(ぼろぼろ泣けてしまった)、同じようにロリコン男の饒舌な一人称で書かれた本書の表題作は、確かにそこに哀しみはあるものの、どちらかといえば表層的で、道徳でも美学でもない別の...

小寺信良×津田大介『CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』

考えてみると「コンテンツ」というのはおもしろい言葉で、テキスト、音楽、イメージ、動画という一見異質なものを包含している。共通するのは形がないということで、それらに形を与えるのが「メディア」というものだ。ぼくらは「コンテンツ」を手に入れる場合、「メディア」に対してお金を払ってきた。...

堀江俊幸『雪沼とその周辺』

雪沼というどこにあるとも知れない地方の街の周辺を舞台に、そこで暮らす平凡な人々の現在と過去の記憶が交錯する連作短編集だ。最終営業日の小さなボーリング場の主人、スキーにやってきたのが縁で料理教室を開いた小留知先生が遺した最期の言葉、段ボール工場の田辺さん、書道教室を営む陽平さん、絹...

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

生命とは何か?細胞からなる、DNAを持っている、呼吸によってエネルギーを作る、というのは属性をあげているだけだし、「自己を複製するシステム」というのも一見もっともらしいけど、生命の柔軟性をとらえきれていない。 分子生物学の研究者としての経験、中でも手痛い失敗の経験から、筆者はひとつ...

舞城王太郎『みんな元気。』

竜巻とともに空を飛べることのできる一家がやってきておたくの末の娘朝ちゃん(彼女も空を飛べる)とうちの息子を交換したいと申し出てくる。すったもんだの末最終的には、朝ちゃんの意志でその交換は成立することになる。 舞城王太郎の小説には、まるでレーシングゲームをしているときのように、荒れ狂...